記憶のごみ捨て場

 
 都市のはずれのだだっ広い荒野には、得体のしれないかたまりがぼつんぼつんといくつもいくつも置かれている。他にはなーんにもなくて、つまんない場所でしかない。地平線の果てまでずうーっと荒野が拡がっていて、ここに置かれているかたまりだけが誰かの置き土産みたいにさびしそうに佇んでいる。ここにこんなものがあるっていうことを普段はみんな忘れていて、ときどき思い出した人はここにぽつりぽつりとやってきては、この得体のしれないかたまりをどさりと捨てていく。人それぞれ大きいもの、小さいもの、丸いもの、四角いもの、三角のもの、ぐちゃぐちゃになった変なかたちのもの、黒いもの、白いもの、灰色のもの、なんだかよくわからない色のもの、それぞれがそれぞれの人自身の思いを閉じ込めている。
 そんな無機質のかたまりの中でもひときわ大きなかたまりの、小さな山ほどもあるそれのてっぺんで、無機質ではないなにかが動いた。それは人のようでいて人じゃない、人のようなかたちをしてはいるけれど、どこかが、なにかが違っていた。それの動きはとても変だった。全身をぴくぴくとわななかせたと思うと急にぴたっと止まって、すっくと立ち上がってはすぐにすとんと座りこむ。落ち着きがまるでなくて、いつもからだのどこかしらが動いている。まわりに他に動くものはなく、それだけが動いているからやたらと目立つ。ぴくぴく、ぷるぷる、すっくすとん。びくびく、ぶるぶる、ずりっどすん。大きなかたまりからかたまりへと移動するたび、まったく同じ動きをしては、また別のかたまりへ跳ねるようにして移動していく。とても変な動きではあったけれど、それはいたって規則的だった。
 それが一体なんなのか確かめたくなって、もっと近くへ行ってみようと決めた。こんな都市のはずれへやってきた本来の目的をすっかり忘れ、その奇妙で、規則的に動くものに夢中になってしまっていた。
 ようやく近くへやってきて、かたまりの陰にじっと身を潜めつつそれを観察してみる。姿かたちはまるで人間と遜色がない。「僕はにんげんです」と言われれば、たちまちそれを信じ込んで、すぐにでも友だちになって日が暮れるまで遊んでしまいそう。いや、たとえ人間じゃなくたって、友だちになって一緒に遊びたい。用事を済ませるのはそのあとでもいいし、もしかしたら彼も一緒に手伝ってくれるかもしれない。うん、そうだそうだ、それがいちばんいい。
 そう思うやいなや、気がつくとぱっとかたまりの陰から飛び出していた。彼は空の上をもの憂げに仰ぎ見ていたけれど、すぐにこちらに気づいてなんのためらいもなく、そしていたって機械的に近づいてきた。人間には、きっと慣れているのだ。
「やあ、初めまして」
 しゃ……、しゃべった!
「君も、ここにいやな記憶を捨てに来たひと?」
 普通の人間とまったく同じようにしゃべれるということに驚きを隠せず、目を丸くしていると、彼はなにも気にせずそう続けた。横倒しになるぐらい首をかしげて、じっとこちらを見つめている。質問の答えがほしいみたいだ。
「い、いやな、きおく……」
 しばらく使っていない声で、かろうじてそう発言した。
「やっぱり! 記憶を捨てに来たひとかあ。最近はあんまり来なかったから退屈してたんだよ。じゃあ、そうだなあ、よし! あの辺りが空いてるから、あそこに捨てよう」
 彼はぐるりと周りを見渡してから、とある一角を指差した。確かにそこだけぽっかりと広場のようになっていて、なにも置かれていない。気づくと彼はどんどんその広場のようなところへ進んでいってしまっていて、本当はいやな記憶を捨てに来たわけではないのに、弁解の余地なく着いていかざるを得なくなってしまった。
「さ、君のいやな記憶を見せてごらん。なに、言葉にする必要はないよ。『見せて』くれるだけでいい」
 そう言うと彼は静かに目を閉じた。するとどこか神秘的で、どこか現実離れした雰囲気がまたたく間に漂った。あたり一面草木も生えない荒野なのに、花の咲き乱れる草原にいるかのような穏やかさ。木漏れ日の降り注ぐ森の奥で森林浴をしているかのような心地よさ。きっと彼は、いやな記憶やつらい記憶を持ってここにやって来た人たちの心を癒すために存在しているんだ。そう思った。
「……ん、あれ、おかしいな……」
 そう言うと彼はぱっと目を開けた。するとたちまち平穏な雰囲気が消え去り、今までの荒涼として殺伐とした雰囲気が蘇った。そうだ、もともとここへはいやな記憶を捨てに来たわけではない。それに、そもそも記憶を彼に見せることすらできない。なぜなら――、
「違うよ、ぼくは、記憶を捨てに来たわけじゃないんだ」
「そうか……。君は、記憶をなくしたひとなんだね」
 そう、記憶をなくした人間。自分が一体誰なのかまるでわからない。どんな人間で、どんな性格で、どんな姿かたちをしているのかまったく思い出せない。唯一思い出せる、というかわかるのは、服に縫いつけてあった名前だけ。自分の姿を映すことのできる「鏡」というものがこの世界にはあるらしいのだけれど、目が覚めてから一度だって見たことがない。気がついたら、自分が世界から消えてしまったみたいだった。
「うん。それに、誰もぼくのことを憶えていないんだ。誰に話しかけても、ぼくのことは知らないって言う。ぼくが自分のことを忘れちゃったのと同時に、みんなもぼくのことを忘れちゃったみたい」
 誰にも自分のことを憶えられていない。誰のことも憶えていない。広大なメガロポリスの中で本当にひとりぼっちになってしまったから、ここへ来たのだ。それがこんな都市のはずれへとやってきた本来の目的であり、済ませるべき用事だった。
 この場所は、記憶のごみ捨て場と呼ばれていた。あの街ではきっと誰も自分のことを憶えていないのだろう。それならば、誰かが捨てた記憶の中にならもしかしたら、自分を見つけられるかもしれないと思ったから、本当は仕方がなかったのだけどこの場所へとやってきた。その小さな望みだけをからっぽの胸に入れて、ここへ来たのだ。自分のすべてを見つけられなくとも、その糸口さえ見つかれば――。
「……そうなんだ。まあ気にすることはないよ。人間なんて自分の都合のいいように物事を憶えて忘れて、時にはその記憶だって改竄するんだからさ。さらには憶えていても、憶えてないって嘘を吐くこともある。君もそうじゃないかい?」
 彼は急に真顔になるとそう言った。確かに言われればそうだ。人間の記憶なんて、そういう曖昧で、自己主体性で、かたちを留めないものなんだ。
「まあ、君は他の人間とは一味違うような気がする。なんて言うのかな、毛色が違うというか。うーん、うまく言えないな。あ、えっと、気に障ったんなら謝るよ」
 そう言うと彼は左手で頭の後ろをがりがりと掻いた。彼は人間ではないみたいだけど、言動や行動はいたって人間的に見えた。
「うーん、記憶をなくしたってんなら、あれかい? ここへ来たってことは、あれかい? もしかして、どっかの、誰かの、捨てられた記憶を見に来たってことかい?」
 そのものずばりの解答だけど、少し考えればすぐにわかることだ。彼は頭もいいみたいだし、それに人間的な洞察力もちゃんと持ち合わせている。
「うん、そう。ここにあるかたまりはみんな誰かの捨てられた記憶なんでしょ? ひょっとしたら、誰かが捨てた記憶の中に、ぼくが見つかるかもしれないと思って」
 誰かが捨てた、いやな記憶、悲しい記憶、つらい記憶、忘れたいほどの苦痛をその誰か自身に与える記憶。どんな記憶の中だっていい、自分と自分の存在を知る手段があるのなら、それはどんな手段だって構わなかった。
 だがしかし、この場所にある記憶は誰かにとってのいやな記憶、つらい記憶、悲しい記憶、忘れてしまいたいような記憶だ。その中にもし自分を見つけてしまえば、誰かにとっていやな存在、鬱陶しい存在として扱われていたことが事実となってしまう。それは悲しい話だけど、機械に支配され、喜怒哀楽の「怒」と「哀」をなくし、切れないクスリを打っているかのような、感情まで誰かに支配された、人工知能で動いているかのような、そんな人間たちと一緒にはいたくなかったのだ。
 どんないやな記憶の中でも、自分の存在のかけらが見つかればそれでいい。誰かの感情なんて、はっきり言ってどうでもよかった。
「そっかー。そういうことなら探してあげるよ。ここにある記憶は全部憶えているから、検索をかければ一発さ。えーっと、そういや君の名前を聞いてなかったね。名前を知らなきゃ、探すものも探せないんだ」
枕ヶ丘まくらがおか……、夕緋ゆうひ
 なんとなく、姓と名前の間でつっかえてしまった。別にこの名前を気に入ってないわけじゃないけれど、記憶はまったくない。ただ服の内側に縫いつけてあったのを見て知っただけで、まだ自分の名前に対して若干の違和感があったからだった。
「そっかー、ありがと。それじゃあユウヒ君。ちゃちゃっと終わらすから、ぼんやり空でも見ながら待っててねー」
 そう言った次の瞬間、彼はがくんと膝から崩れ落ちた。どさっと音を立て、彼はうつ伏せの状態で倒れた。まるで糸を切られた操り人形のように。魔法を解かれたゴーレムのように。バッテリーの切れたロボットのように。
 辺りはしんと静まり返った。風の音すらしない。そういえば、昔は鳥とか虫とかいう生き物がいたらしいのだけれど、そんなものは見たことがない。こういうなんにもないところでは、そういう生き物の鳴き声が聞こえるのが当たり前だったとか。今はなんにも聞こえない。なんにも音を発するものがない。静寂がそこにあるだけだった。
 それでは、自分は果たして生きているのだろうか。呼吸の音も、心臓の音も、骨と筋肉がきしむ音もまるで感じられない。いや、音を発しようとしていないだけだろうか。でも、なにか生きていることを証明するだけの音を発する気力がまるで湧きあがってこない。生きているのか、死んでいるのか、そもそも生とか死とかについてさえよくわからなかった。
 自分がなにものなのか知りたい。それは生への渇望と言えるだろうか。よくわからない。そうなのかもしれないし、単なる本能的知識欲なのかもしれない。でも、本当はわかっていた。生とか死とか関係なしに、ここにいる意味がほしかった。理由なんて複雑なものじゃない。自分に意味がほしい、ただそれだけだった。
 ぼーっと言われたままに空を眺めていたが、何分、何十分たっても彼は倒れたままだった。それほどまでにここに捨てられている記憶の量が多いということだ。それはつまり、人の悲しみ、苦しみがいかに多いかということも表している。記憶のごみ捨て場は、世の中の裏の影の部分を表象しているような気がした。
「ん〜っ!」
 伸びをするような声がしたかと思うと、瞬時に彼はむくっと起き上がっていた。すぐに立ち上がると、もう一度腕を大きく伸ばしてあくびをした。なんだか、普通に眠っていたかのようなしぐさだった。
「ごめんごめん、思いのほか時間がかかっちゃった。……結果から言うよ」
 彼はまた真顔になった。それで余計に緊張した。もしここにも自分が見つからなければ、一体どうしたらいいんだろう? だが彼の言葉はあっけなくその「もし」の選択肢へたどり着いた。
「残念だけど、君の記憶はどこにも見つからなかったよ。つまり、もしかしたら、君を憶えている人はこの世のどこにもいないのかもしれない。あ、いや、この世のどこにもっていうのはわからないけどさ。ひょっとしたら街の外から来たのかもしれないし、それに、ほら、あの街はずいぶん広いから」
 彼は荒野の向こうに見える機械で覆いつくされた都市を見て言った。首を動かさなきゃ、端から端までは見えない。人が何人住んでるのかも、地上何階、地下何階あるのかも、道の数が何本あるのかさえ、誰も気にしないで生きている。機械の恩恵を受けながら、自然の消えた世界で。つらい記憶や悲しい記憶を捨てて、楽しさと喜びだけを持って。同じ動きしかしない機械だけの、規律の世界で。
「そう……。でも、探してくれてありがとう。これからぼくがどうすればいいのかさっぱりわからないけど……」
 そう言うと、彼はなにも言わずにひどく悲しいような、申し訳ないような、そんな表情をした。彼は人間ではないのに、あの街で暮らしてる人たちよりもずっとずっと表情豊かだ。
「……ねえ、君の名前を聞いてもいい?」
 そう尋ねると、彼は一瞬前までの暗い表情から一転、ぱっと明るくなるとにっこりと微笑んでいった。
「実は、僕には名前がないんだ。ここにあるたくさんの記憶からうまれた存在だからね。だから、自分で名前をつけたんだ」
 彼は自分の正体を告げた。ここに捨てられているたくさんのいやな記憶、つらい記憶、悲しい記憶からうまれたという。どういうことなのかよくわからなかった。それに、いやな記憶、つらい記憶、悲しい記憶からうまれたというのにもかかわらず、彼は笑ったり喜んだりすることができる。とても不思議でならなかった。
「自分でつけた名前は、『キリツ』っていうんだ。あの街では機械が規律。でもここでは、僕が規律。捨てられている記憶を管理しているといっても過言じゃないからね」
 キリツはここにある記憶をすべて把握しているし、ここに来た人から捨てたい記憶を捨てられる形に抽出することができるようだから、いわば記憶のごみ捨て場の管理人という役回りなのだろう。でも、やっぱりキリツの感情の豊かさがどうしても気になった。
「あの……、どうして」
「やっぱり気になる? ここに捨てられてる記憶はつらい記憶や悲しい記憶ばかりなのに、僕は笑ったり喜んだり楽しんだりうれしい気持ちになったりできるってことが。うーん……、なんて説明したらいいのかな、つまり、ここに捨てられてる記憶はもうただの記憶でしかないんだ。誰かの思い出や経験じゃない。その中には記憶の持ち主以外の感情だってある。周りの人とかのね。だから僕は笑ったり喜んだりすることができるんだ。捨てられている記憶は確かにいやな記憶であることに変わりはないけれど、それはその記憶を捨てた人の主観だから」
「ふーん、そうなんだ。だけど、よくわからないや」
 キリツはそう説明してくれたけれど、内容はうまくわからなかった。自分はまだ子どもだ。
「ははっ、わからなくていいんだよ、こんなの。人の記憶なんて曖昧なもんだし、その記憶からうまれたっていう僕はきっともっとずっと曖昧な存在なんだろうね」
 苦笑してはいたものの、キリツはどこか寂しそうだった。このごみ捨て場でキリツはずっとひとりきりで、話し相手は時々訪れる記憶を捨てにやって来た人だけ。記憶からうまれた人外の存在に、種の仲間はいない。
「ぼくは――」
「ん?」
 キリツは急に顔をこちらに向けたので、まともに目が合った。だけど、思い切って言った。
「君と友だちになってもいい?」
 しばらく目をぱちくりさせたかと思うと、キリツはぷっと吹き出した。
「なんだ、そんなこと、はははっ。面と向かってそんなことを言われたのは初めてだよ。うん、いいよ。僕はきっと君にとっての最初の友だち。そして、僕にとっても」
 そう言うとキリツは手を差し出してくれた。なんなのかわからずにぽかんとしていると、彼は気がついて教えてくれた。
「友好の証、握手だよ。お互いの手をこうやって、握るんだ」
キリツは空いたもう片方の手で握手というものをさせてくれた。
「ユウヒはもうどこにも行くところがないんだろ? そして、やるべきこともなければやりたいこともない。そうだよね」
 キリツが確認したので、コクリとうなずいた。たとえやりたいことがあっても、それをしようという意志が湧いてこないだろう。
「うん! それじゃあ、ここで一緒に住もう。それで今度は僕のほうからお願いなんだけど、僕のやりたいことを手伝ってくれる?」
 キリツのその勧誘に、二つ返事でうなずいた。断る理由なんかこれっぽっちもなかった。ここでキリツと一緒に住む。まだまだ世の中には出会ったことがない人もたくさんいるし、自分のことを知っているかどうか尋ねた人なんてせいぜい十人から二十人ぐらいだ。あの街はとても広いし、なにより人の数も多い。ここにいればそのたくさんの人々が記憶を捨てに来る。その捨てたい記憶の中に自分が見つかるかもしれないし、そういう人が記憶を捨てるにはキリツの力が必要なわけだから自然と自分のことを見知っている人に出会う可能性はずっと高くなる。あの街以外にはもうこの世界に街と呼べるものは残っていないかもしれないし、他のところへ行こうにもあてがないのだから、せっかくできた友だちと一緒にいるのが一番だった。もしも自分の過去がなくなってしまっても、未来をつくっていけばいい。そう思った。
「僕のやりたいこと、それはここに捨てられてる記憶のことなんだ。ここにある記憶を全部、もとの人の下へ返してやりたい」
「それって……」
 なぜだろう。捨てたいから、捨てた。忘れたいから、忘れた。それでいいはずなのに。
「いや、いいはずがないんだ。楽しい記憶、うれしい記憶だけを持ち合わせて、つらい記憶、悲しい記憶を都合よく忘れて生きてるなんて、許されると思うかい?」
 キリツはやはり遠くに見える広大な都市をぼんやりと眺めながら話している。まるで、そこにあるはずがない自分の心というものを投影し、その投影された自分自身に問いかけているかのように。
「過去に悲しい思い出があるのなら、それをずっと背負って生きていかなきゃ。過去に罪の意識を感じる思い出があるのなら、引きずってでも抱えていかなきゃならないんだ。それが人のあるべき姿だし、また人の記憶のあるべき姿だと思うんだ。わかるかい?」
 正直言ってわからなかった。わからなかったけど、きっとそれが正しいことであるのかもしれない。利己主義者でも何でも、罪悪感は消せない。でもこの記憶のごみ捨て場に来れば簡単にそれを消せてしまえる。過去のつらかったできごと、悲しかったできごと、人を傷つけてしまったできごと、失敗して後悔したできごとを簡単になかったことにできる。いったん記憶を捨ててしまえば、その記憶はその人の中ではなかったことになるのだから。
「うん、ぼく、手伝うよ」
「わかってくれたかー。たくさんの人に会うことになるから、ユウヒにとってもそれがいいだろうしね」
 キリツは少し話を中断して、遠くのほうを見つめた。その視線の先には、広大な機械都市が寝そべっている。ここにある記憶、何十、何百ものそれをもとの人に返す。途方もない仕事だけど、彼の信念は揺るぎそうになかった。
「……そして、最終的にはこのごみ捨て場を消そうと思ってる。こんな場所があるから、人は簡単に頼ろうとする。いやな思いをしても、ここに捨てにくればいいやって。そうなってしまえば、人はどんどん堕落していくからね」
 それはわかるような気がした。だけど――、
「それは、キリツ自身も消えてしまうっていうこと?」
 少し不安になったけど、キリツはそんな不安を打ち消してしまうようなあっけらかんとした態度で言った。
「違うよ。この場所を記憶のごみ捨て場じゃなくすってだけで、僕は消えたり死んだりはしないよ。ただ、僕のこの能力はもう使わなくなる。人の記憶を見せてもらったり、誰かの記憶を検索したり。普通の人間と変わらなくなるんだ」
「そう。……よかった」
「へへ」
 もしかすると、それがキリツの本当の望みだったのかもしれない。記憶からうまれたという人外としての存在ではなく、人としての存在にうまれ変わること。そう思ったけど、口にはしなかった。彼のその望みのためならばいくらでも手伝うし、いくらでも利用してくれて構わなかった。
「それじゃあ、まずは家を建てよう。僕はどっかその辺で寝れば問題ないけれど、ユウヒには必要だろ?」
 えらくあっさりと言うけれど、家を建てるなんてそう簡単なことではないはずだった。
「そんな豪勢なものじゃなくていいんだよ。少なくとも、寝食に困らなければ」
「なんだか、無人島に来たみたい」
「ワクワクするだろ?」
「ふふっ、そうだね」
 こうしてキリツとの共同生活が始まった。彼は、誰も知り合いのいない、ひとりぼっちの世界での唯一の理解者。逆もまた同じ。ひとりぼっちが友だちを得たということが、二人にとっての共通項だった。記憶のごみ捨て場の規律。記憶のごみ捨て場の、キリツ。彼はこのごみ捨て場を消失させることを望んだ。それはやはり、この場所の規律としての存在だから。そしてぼくは自分自身を見つけることを望んでいる。記憶が戻ればそれでいいし、ぼくを知っている人が見つかれば記憶も自然と戻るかもしれない。
 でも、もしも戻らなくてもそれで構わないと思った。キリツはやっぱり本当は、人間になりたいと思ってるに違いない。ぼくがぼく自身を見つけられなかったのなら、彼はぼくの友だちとして、ぼくは彼の友だちとして生きていけばいいんだ。
 過去よりも未来。
 過去がなくなったとしても、未来をつくっていけばいい。誰の言葉でもないし、信念でもない。それもまた、人のあるべき姿だと思うから。
 
 

2010.11.07


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