黄泉の道化師



 ねえ、知ってる? 旧校舎の幽霊の話。
 ええ、もちろん知ってますわ。なんでも、数年前に教室で首を吊った生徒の霊だとか。
 うおお、怖えな。自殺かよ……。それって、マジにマジ?
 何度もみられているらしいよ。実際、おれの友達もみたってやつが……。
 いやあね、新学期だっていうのに。
 あんまり近づかないほうがいいかも。
 夜に旧校舎に行くと、窓に霊がうつってたり、泣き声が聞こえてきたりするんだって……。
 きゃーっ!
 聞いた聞いた? 旧校舎のそばに大きな桜が一本だけ咲いてるでしょ? あの下に死体が埋まってるんだって!
 霊をみたやつは呪われて、病気になるか怪我してしばらく学校に来られないらしい。実際、おれの友達も骨折して入院したんだよ。
 真夜中にぼうっと薄気味悪く、教室のなかが光っていることもあるそうですわ。誰もいないはずですのに。
 な、なんで真夜中にそんなものみたやつがいるんだよ……。
 さあ。でも、その人も翌日体調を悪くしたそうじゃない?
 マ、マジかよ……。怖え……。
 まあなんにせよ、旧校舎に用事なんてないし、鍵がかかってるから入れっこないけどね。それに取り壊されるって話も出てるらしいし。
 それ、去年からずっと言われてるよね?
 ええ。でも取り壊しの下見に行った業者の方々が次々に高熱に倒れたらしくて……。その次も、そのまた次も。まるで幽霊が、自分の居場所を取り壊すなって言ってるようなものじゃなくって?
 ……………。
 …………。
 ………。
 ……。
 …。
 ‥。
 ・。
 。
 
 
 
 新学期の春うらら、僕は真夜中に学校へ行くことになった。なぜこんな面倒くさいことになったかというと、うちの同好会の会長のせいだ。気まぐれで、奔放で、興味を持ったことにはとことん熱中する。まるで無邪気な子どもみたいだ。そんな彼女のふとした提案というか思いつきに僕がしぶしぶ了承したために、深夜二時近くにもなってこうして校門の前に立っているというわけだった。
 旧校舎の幽霊のうわさ。どこからそんな話を仕入れてきたのか、今日の放課後彼女は目をキラキラと輝かせ、ドアを勢いよく音を立てて開けると部室に飛び込んできた。
みなと! わたしたちで幽霊のうわさ、確かめるよ!」
 バサッ、と僕の手から本が滑り落ちた。僕は部室にいて、彼女――つまり、この部活の会長である中森梢なかもり こずえを待っている間、本を読んでいたわけだ。僕の名前は玉川湊たまがわ みなと。読んでいたのは海外ミステリの翻訳で、部室の本棚にはずらりとミステリばかりが並んでいる。
「奇しくもここはミステリ研究会! 謎がわたしたちを呼んでいるに違いないわ! 湊、旧校舎の幽霊のうわさ、当然知ってるよね? 早速今日の深夜二時に校門前に集合よ!」
「はあ、なに言ってんの……。ねえコズちゃん、この同好会、『探偵同好会』に名前、変えたほうがいいんじゃない?」
「我らがミステリ研究会はどんな事件やどんな謎でも、たとえそれがオカルトや人類の叡智を凌駕した摩訶不思議な怪奇現象であろうとも、ミステリアスなできごとならばなんでも歓迎なのだよ! 幽霊にUFOにあらゆる超常現象、オカルト、超能力、超魔術をこの目で見極め、それが本物であれば未知との遭遇に感涙し、ウソであるならば我々でそのトリックを見破る! これこそがミステリ研究会の本質なのだよ! そんな幽霊のうわさなんて聞いた日にゃいてもたってもいられないね! 探偵同好会でもいいけど、ありとあらゆる謎や不可思議な事件について調査し、研究する。もちろんミステリ小説も読み込んで、普段から謎を解明する力を身につけておく。要するにミス研ってのは、不思議なできごとやトリックをふんだんに使った事件のファンクラブってとこかなー。まあ、美夜子先輩の受け売りなんだけど。あたしは探偵志向でいくけどね!」
 美夜子先輩というのは卒業してしまった前会長のことだ。先輩は一年の頃にミス研を立ち上げ、実績はなくともこうして会を存続させてきた。僕らにとっては、今も昔も尊敬している憧れの先輩である。事実美夜子先輩は校内で最も慕われ、かつ校内一の美少女としても有名だった。
「なるほどね、わかったよ。それにしてもノリノリじゃないか」
「うおお、燃えてきた! なんといっても、この学校中の謎という謎を解明したいと思っていたわけだからね! 去年一年間は結局ガセネタに次ぐガセネタだらけだったわけだけど、新学期一発目からこれは幸先いいんじゃない?」
「そんなにたくさん謎があるわけでもないのに、一発目から幽霊なんて縁起悪すぎだよ。それに、結局今の部員はコズちゃんと僕の二人だけ。美夜子先輩は卒業しちゃったし、今の三年生はいないし。そろそろ部活説明会だってあるんだから、幽霊調査なんかよりも部員勧誘に明け暮れるべきだよ」
「幽霊調査“なんか”とはなによ! あんた、それでも本当にミス研の副会長なの!」
「あいにく、オカルトには興味ないんでね」
「ぐぬぬ」
「ほら、会員勧誘のポスター作ってきたから、とりあえずこれだけでも貼ろう」
「……明日から! 明日から、本気出すから、やるから、やるから。お願いだから、幽霊退治に付き合ってください」
 頭を下げられては敵わない。僕はこのミス研会長・中森梢こと“コズちゃん”にはいつも弱く、結局最後には折れてしまうのだった。
「しょうがないなー、わかったよ。深夜二時に集合ね。じゃあとりあえず、ポスターだけ貼って一旦帰ろう」
「湊ぉ……。湊なら、そう言ってくれると信じてたよ。さすがは我が優秀な助手にしてよき理解者だね。はっはっはっ」
 うまく丸め込まれた気がしないでもないが、そうして僕はまんまとコズちゃんの熱意に負けて、のこのこと深夜に学校に来てしまったというわけだ。
“幽霊をみた者は呪われる……”
「幽霊、ね……」
 幽霊がいるかどうかについてはともかく、呪いなんてただの思いこみに決まってる。そもそも桜の木の下に死体なんかが埋まってるわけないだろう。
 校門は閉まっていたので、仕方なく乗り越えて校内に入った。その瞬間、後ろから声が降りかかってきた。
「おっすー、湊、早いね。普通は中に入らないで待ってて、わたしを持ち上げて先に入れてくれるのが紳士たるものの礼節ではないかな?」
「幼なじみになに言ってんの。それに、ずっと体育五のくせによく言うよ」
「へへ、よく見てるね」
「自慢してきてんじゃんか」
「よっ、と」
 掛け声とともにコズちゃんはジャンプすると、簡単に門の上に乗った。運動神経は抜群なのに、なぜか運動部にも入らなければ練習試合や大会などの助っ人にも応じないらしい。自分から積極的に行動するのは好きなくせに、人からなにか頼みごとをされるような面倒事は嫌いなのだ。根っからの独善的で自己中心的な性格。
 それはそうと、僕とコズちゃんは小学校からの腐れ縁だ。中学校は違ったが、高校で再び一緒になった。僕らの通う学校は私立比良坂高等学校。中高一貫校で、中学校も附属している。僕は中学受験を経て比良坂中学校から通っているが、コズちゃんは公立中学からの高校入試組。僕の通っている学校に入学してくるなど最初は驚いたが、こうして僕らは幼なじみよろしく二人一緒にミステリ研究会に入ったわけだ。
 それなのに、こうして呑気に肝試しとは……。もう少し会長としての自覚を持ってほしいと僕は思った。
 そんな僕の悩みは露知らず、自分の欲望に忠実な会長は門の上に立ったまま辺りを見渡していた。
「誰もいないね」
「そりゃあね。みんな家で寝てると思うよ」
「わたしは仮眠とってきたから大丈夫!」
「ふうん」
「それにしても、勝手に入って平気かなあ」
「今さらなに言ってんの」
「うん、それもそうか。えへへ」
 学校内でうわさをしていた人たちはみんな怯えるようにその話をするのに、コズちゃんはこうして無邪気に笑っている。僕は時々こういう彼女に対して、住んでいる世界が違うなと感じるときがある。心のなかに一切の闇がないような、ともすればすべての負の感情を一纏めにパッケージして心の奥底に埋めてしまったかのような、傍目から見れば純真無垢と言えなくもない世界。本当に闇がないのか、隠しているだけなのか、僕にはわからなかったが、結局いつもこの笑顔に負けてしまう。
「うわぁー。さすが真夜中ともなると雰囲気あるね……。薄気味悪っ」
 僕らは旧校舎の入り口に立った。その建物はまるで吸血鬼や悪魔の出そうなほどに不気味な威圧感を放っていた。取り壊しの話が出るのもわかる気がする。だが、それは老朽によるものなのか、うわさ話ごともみ消そうとするものなのか、真意は掴みかねた。
「そりゃそうだよ。この旧校舎も相当古いし、真夜中ともなればなおさらね。築三、四十年は平気で経ってると思うよ」
「だね。……って、ありゃ、開かないや」
 コズちゃんはくすんだ真鍮のドアノブをがちゃがちゃと右へ左へいじくり回している。引いても押しても観音開きの扉はびくともしない。
「まあ、開いてるとは思ってなかったけどね。でも……」
 ポケットから取り出したのは案の定ヘアピン。使い方は、髪を留めるためではないのだろう。鍵のかかった扉を目の前にして、使い道はおそらくひとつしかない。
「ご明察! こうして、こうして……、っと」
「なにも言ってないけどね。しっかしよくできるね、そんなこと」
「ちっちっちっ、優秀な探偵になるためには必要な技術だよ」
「へえ、鍵のかかった人の家に不法侵入するための技術が、探偵には必要なんだ」
「ここは人の家じゃないでしょ。密室よ、密室」
「ふうん、密室ねー。中で新たに人が死んでなければいいけど」
 ふと、コズちゃんの顔が一瞬だけ無表情になった。なんだ? 集中しているのだろうか。
 だがそれは一瞬のことで、瞬きする間にかちり、と音がして扉は開いた。コズちゃんの顔に笑顔が戻る。
「よっし、開いた! さあて、人騒がせな幽霊騒動の犯人はどこに隠れているのかな?」
 簡単にごまかされてしまった。でも、僕はそのあとで気がついた。コズちゃんの表情が漂白したかのように無表情になった理由。おそらくそれは五年前に起きた、コズちゃんのお姉さんが殺されてしまった事件が原因だろう。コズちゃんのお姉さんである中森桜なかもり さくらさんは、五年前に自宅で何者かに刺されて亡くなってしまっている。
 失言だった。不用意に「人が死んでなければいいけど」などと言ってしまって、コズちゃんに過去のつらいできごとを思い出させてしまっただろうか……。
「ほら湊、行くよ! なに? 怖がってんの? ぷぷっ、だっさー」
「こんな真っ暗なところに入って、コズちゃんがケガでもしないかなって心配してたんだよ」
 僕のほうも咄嗟にごまかすことにした。せっかくコズちゃんがスルーしようとしてくれているのだ。こちらから謝っても野暮なだけだろう。
「ふーん、そっか、ありがと。でも、月明かりで完全に真っ暗闇ってわけでもないよ、ほら」
 確かによく見ると、うっすらと窓から光が差し込んでいる。それでも、暗いことには変わりない。月明かりの差し込む旧校舎は古ぼけた洋館のようでいて、それでいてどこかの廃墟みたいだった。まあ誰も立ち入っていないはずだから、事実廃墟なのだが。
「静かに、こっそり行くよ。犯人が逃げちゃうかもしれないから」
 そう言うとコズちゃんは唇に人差し指を当てた。僕はうなずくと、慎重に音を立てないように二階に上がった。しかし抜き足差し足で歩いたところで、階段の軋みは隠せない。なるべくその軋みも小さくなるよう細心の注意を払って足を下ろしながら、そのまま三階まで上がっていく。幽霊が目撃されたのは、三階の一番端の教室だという。廊下には見たところ人はいない。でも、月の光の当たらない陰までは見通せない。
 実のところ、僕はこのうわさの本当のことを知っていた。呪われるとか、首を吊ったとか、木の下に死体が埋まっているとかそんなことはどうでもよかった。それらはみんなウソで、本当は――
「行くよ、湊っ」
 コズちゃんはそう言うと、一息に扉を開いた。ガラッ、ターンという音が空虚に響き渡る。
「……誰もいないね」
「うん、無駄足だったかも」
「まだ他の場所にいるかもしれないじゃない。確認しようよ」
「えーっ、もういいじゃん」
「なに? 湊、やっぱり怖いの? ぷぷっ」
「はあ。わかったよ、最後まで付き合う」
 旧校舎は三階建てだが、L字型になっているので案外広い。ここはもともと中等部の教室として使われていたのだが、老朽化が進んで、新校舎ができてからはまったく使われなくなってしまった。
 僕らは音を立てないように、仄暗い旧校舎の三階を徘徊した。一つひとつの教室やトイレや廊下の曲がり角、理科室や実験の準備室の扉を開けてみていった。普通、真夜中の旧校舎のトイレや理科室なんていったら、いかにも“出そう”な場所ではないか。にもかかわらず、コズちゃんは臆することなくずかずかと入り込んでいく。幽霊など最初からいないとでも言うように。
「いないね、幽霊騒動の犯人」
 すっかりこのうわさを誰かの“イタズラ”に仕立て上げてしまっている。僕もその考えには賛成だった。しかし部室でコズちゃんが捲し立てたことを鑑みると、コズちゃんは幽霊に出会いたがっているようにも聞こえたのだが。
「幽霊は、やっぱりいないって思ってるんだ」
「んー、どうかな。いるかもしれないし、いないかもしれない。でも普通、幽霊って霊感がある人にしかみえないものなんでしょ? だったら、こんなに何人も目撃者がいるってのは変かなあと思って。霊感のある人がそんなにいるとも思えないし、一緒にいた人の霊感がうつるってことはあるかもしれないけど、目撃者は全員ひとりでみてるらしいんだよね。所詮うわさ話だし、だったらなにかを見間違えたっていうほうが説明がつくんじゃないかなと思って。あ、でも本当に幽霊だったら、ちょっと怖いけどわくわくするね」
 驚いた。コズちゃんはちゃんとうわさ話の詳細を調査し、冷静に分析していたのだ。何人もの人に聞き込み調査を行い、それこそまさに“推理”したのだ。ひょっとすると本当に探偵の素質が備わっているのかもしれない。
「なるほどね。でもまあ、今日は見間違いの元となるものも、本当の幽霊もいないみたいだし、もうこの辺で引き上げようか。さすがに眠いし」
 僕はあくびを噛み殺してそう言った。
「ちぇっ、ザンネン。せっかく犯人を取っ捕まえて、一躍有名人になれると思ったのに。校内新聞で『女子高生探偵、旧校舎の幽霊騒動を解決!』なーんて見出し、狙ってたのにな。もし幽霊が本当にいるならみてみたいのは山々なんだけど、ほら、ただ幽霊をみるだけならうわさ話を語る一体験者になっちゃうだけじゃない? あっ、そうだ! その幽霊を成仏させてあげるってのはどう?」
「なに言ってんの」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 かた
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「……ねえ、今なにか音しなかった?」
「え? 聞こえなかったけど……」
 かた、かた、かた。
 確かに、どこかから音がしている。僕らは恐るおそるL字の角を曲がった。音は廊下の奥のほう、今いる三階の反対側の端教室から聞こえているようだった。よく見ると、薄ぼんやりと光が灯っている。その光は、懐中電灯のような、ロウソクのような、人魂のような――
「――犯人、見つけたりっ!」
「ええっ、ちょっと、待っ……!」
 人並み外れた脚力と腕力で扉を思い切り開けると、コズちゃんは教室内に飛び込んだ。僕もあわててあとに続く。
 ぼんやりと薄明るい教室内、二つの人影、不気味な呪文、そこにいたのは――
「……どなたですかな?」
 うちの高等部の制服を着た男の子と、なぜか校長先生がいた。二人は唖然とした面持ちで、闖入してきたコズちゃんと僕を見つめている。コズちゃんはコズちゃんでこの二人よりもずっと呆然とした様子で、口をぱくぱくさせている。
 廊下に漏れ出ていた光はロウソクの光だったようだ。床に数本立てられている。よく見ると、少年はお札やお祓いするときに使う紙のついた棒(“おおぬさ”というらしい)を持っていた。旧校舎の幽霊、自殺した生徒のうわさ。推察するに、死んだ生徒の霊のお祓いか供養でもしていたのだろう。しかしコズちゃんにはよく事態が飲み込めていないようで、喉にものを詰まらせたような声で質問した。
「な、なにをされて、らっしゃるん、ですか……?」
「ホトケ様の供養をしていたんですよ。なんでも最近、生徒の間でうわさになっているそうではありませんか。実際、数年前にここで亡くなられた生徒がいたんです。そこで、霊媒稼業を営んでいるという御倉木みくらぎくんを呼ばせてもらったんですよ。彼も本学校の高等部に入学したというので、それならばちょうどいいと思いましてね。いや、利用する形になって申し訳ないが、御倉木くんもすすんで引き受けてくれました」
「みくらぎ……くん?」
「はい、僕のことです」
 御倉木くんと呼ばれた生徒が凛とした声で返事をした。校長先生が続ける。
「さあ、中森さん、玉川くん、あなたたち二人はこんな時間にこんな場所でなにをしていたのですか。見なかったことにしますから、早く帰りなさい」
「はっ、はいっ! すいませんでしたっ」
 コズちゃんは頭を下げると、僕に視線で合図を送ってから教室を出て行った。僕も続こうとしたが、校長先生と目が合ってしまった。
「……本当は君も呼ぼうかと思っていたんですよ、玉川くん。でも、やはり辛いだろうし、早く立ち直ってもらいたい。そう思って、秘密にしていました。いや、申し訳ありません」
「いえ、いいんです。ここにはあまり立ち寄らないようにしていましたし、過去のことをいつまでも引きずっていても、浮かばれませんから」
「そうでしたか……。いいですか、大抵の大人は簡単に忘れなさいと言うけれども、彼のことを忘れてはいけません。忘れずに、受け止めて、乗り越えなさい」
「はい、わかっています」
「さあ、もう帰りなさい。同好会の活動に熱中するのも構いませんが、あまり行きすぎて学業に支障が出ないように。中森さんにもそう伝えておいてください。彼女もつらい別れを経験しているし、お互い心が通い合うのはいいことかもしれませんが、いくら小さいころから仲良くしているといっても真夜中の学校に忍びこむというのはよくありません。こういったことは二度とないようにしてください」
「はい。すみませんでした。よく言ってきかせます」
「湊っ、まだ話してたの! えへへ、すいません、こいつおしゃべりなんですよー。ホントすいませんー」
 先に教室から出て行ったコズちゃんは、戻ってくるなり僕の腕を掴んで教室から引きずり出した。僕はなすすべもなく、会釈だけすると運動神経抜群の少女の引っ張る力に身を預けた。
「なにやってんのよもうー。てっきりすぐついてくると思って振り返ったらいないしさー。もうー、ひとりにしないでよー……」
「ごめんごめん」
「……校長先生となに話してたの」
「二度と真夜中の学校に忍び込むなってさ」
「うう……。まさか校長先生がいるなんて思わなかったよ。それに、なんて言ったっけ、あの少年A」
「確か、御倉木くんって言ってたね。少年Aって呼び方はやめたげようか。確かに意外だったけど、これで幽霊騒動の犯人は見つかった」
「あっ、そっか! 彼と校長先生がお祓いをしてたからだね。呪いはやっぱり偶然とか思い込みだろうけど、窓の人影や光、それに声なんかも説明できるもんね」
「だからって、新聞部に持ち込まないでね」
「ギクッ。え、しないよ、そんなこと」
「今自分でギクッて言った。ほら、あそこで死んだ人がいるんだからさ、そっとしてあげてやってよ」
 それが、この僕に関連することだとは言わなかった。いや、言えなかったのかもしれない。まだコズちゃんに打ち明けられるだけの整理がついていないのかも。そうだとしたら、僕はずるいやつだ。自分に起きたことは一切話さずに、コズちゃんの過去のことは表面的、断片的ながらもある程度知っている。でも、それも仕方のないことかもしれない。僕のほうは大きな事件にはならなかったけど、コズちゃんのほうは大きな事件になって、ニュースに取り上げられ、新聞にも週刊誌にも載った。それは僕らが小学六年のころのことで、僕ら二人が同じ学校にいたころのことだから、クラス中のみんなが知っていた。でも、僕のほうは中学二年の冬のこと。僕とは中学が別だったコズちゃんが知らないのも無理はない。
 だけど、僕らの事件はどちらも世間の記憶からはいともたやすく消えていってしまった。人の記憶から事件の記憶が消えるということは、ある特定の死者がその他大勢の一部になるということだ。すごく寂しいことだけど、世の中では次々と新しい事件が起きている。殺人も自殺も、その無数の事件のうちの一部でしかない。仕方のないことだったが、僕らが忘れなければそれでいいのだ。
「うん、そうだね……」
 僕らは学校を出た。答えるコズちゃんの顔はさっきと同じように、また一瞬だけ真っ白になった。虚無に飲まれた表情。
「……じゃあ、また明日」
「うんっ! また明日ね!」
 瞬時に笑顔を取り戻すと、コズちゃんは手を振って駆けていった。僕はすっかり疲れてしまって、重い足を引きずりながら、コズちゃんが駆けていったほうとは反対方向へ帰っていった。
 もしかしたら、僕はコズちゃんの本当のことを実はなにも知らないのかもしれない。きっと僕と同じように、なにか重要なことを隠しているのかもしれない。小学校の同じ教室で、コズちゃんが数日間休んだ前と後とではガラリと変わってしまったクラスメイトや先生のコズちゃんに対する接し方に、僕は居心地の悪さを感じて、周囲の見せかけのやさしさの裏に隠された真実を見逃してしまったのかもしれない。
 いや、“きっと”じゃない。“もしかしたら”じゃない。人間なら、たとえ幽霊になったとしても、誰しも隠しごとを持っているものなのだ。
 僕はいつ、コズちゃんに自分の“隠しごと”を打ち明けられるのだろう。ずっとウソをついたまま、ずっと仮面をかぶったまま、ずっとピエロを演じたまま、関わり合っていくのだろうか。
「幼なじみに隠しごとって、やっぱりよくないよね……」
 そんなことはないさ。だって道化を演じなきゃ、二人の関係は揺らいで変わってしまうかもしれない。仕方のないことだよ。
「うん、そうだね……」
 コズちゃんは僕にとって、もはやただの幼なじみではなくなっていたのだ。
 
 

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