黄泉の道化師



 それからの一週間、僕はコズちゃんとはいっさい口を利かずに過ごした。するとどうだろう、途端にまったく面白みのない、淡然とした日々になってしまった。始業前にコズちゃんが僕の席の前に立って話しかけてくることもない。
 放課後は家に帰ってもやることがないし、というよりも基本的に家にはあまり帰りたくない僕は、吸い寄せられるように旧校舎に入り浸るようになった。本来ならば一般生徒は立ち入り禁止で、特別な事情がなければ入れないのだが、僕は校長先生から特別に許可をもらっていた。それが同情なのか、単純に協力の姿勢を見せてくれただけなのかはわからない。それでも僕は、僕のすべてが終わって、そして新しい僕として生まれかわったこの場所に執着心を感じずにはいられなかった。もちろんそれは普段なら気にしないようにしていることなのだが、コズちゃんとぶつかり合ってしまったあとなら、その執着心はなおさら強まって、僕の心を掴んで離さなかった。
「――どうして、こんなことになってしまったんだろう」
 僕はその場にいるべきであろう人物に話しかけた。でも、返事はなかった。ちぇ、都合の悪いときだけ無視しやがる。旧校舎の三階の端教室、僕とコズちゃんが真夜中に優希と校長先生に出会った教室で、夕陽がひとりきりの僕の頬を舐めた。
 椅子に座ったり、机に腰掛けたり、教卓の前に立ってみたり、無意味に教室内をうろついたりした。でも、窓の前には立ちたくなかった。あの日の記憶が蘇って、どうしようもなくなってしまいそうだったから。
 死んだ者はどうなるのか? それは僕が一番よく知っている。だけど、コズちゃんのお姉さんはどうなってしまったのだろうか。誰かに殺されてしまったのなら、その恨みはさぞかし強そうなものだが。
 それからまた三日が過ぎた。結局僕は放課後の毎日を、この旧校舎の教室で無意味に黄昏ているだけだった。
 コズちゃんとケンカしてから一週間と四日目の放課後、優希がやってきた。出入口の扉にはちゃんとカギをかけたはずなのにどうして、と思ったが、よくよく考えてみれば優希も“特別な”生徒のひとりだった。校長先生から許可が下りている。
「……玉川先輩、こんなこと僕が言うのもなんですけど、中森先輩と仲直りしてください」
「……どうして」
「だって、後悔してたじゃないですか、ケンカした直後に。それに、ミス研の活動がないのも寂しいですよ」
「そんなにミステリが好きなの? それともコズちゃんみたく、探偵志望? ミステリが好きなんだったら家でひとりで読めばいいし、探偵志望だったらどこかの事務所にでも入ればいい。ほかにも文芸部を復興させたり、新しい部活や同好会をつくったりするっていうのもいいかもしれない」
 僕はつっけんどんにそう言った。今の僕は誰とも関わりたくなかった。ひとりきりで旧校舎に閉じこもって、昔の思い出に浸っているくらいがちょうどいいのだ。
「ミス研の活動ったって、基本的に部室で駄弁ってるだけだよ。そりゃ去年までは新聞部への情報提供や街のうわさや気になること、気になる場所なんかを調べて回ってたもんだけど、美夜子先輩、つまり前の会長が卒業して、結局そこの埋め合わせができてないんだ。コズちゃんはああやって自由にやってるだけだし、ようやくまともなうわさを仕入れてきたと思ったら、平気な顔をして深夜に学校に忍び込む。それも、よりによってこの旧校舎にだ。今年も去年と同じくガセネタばっかりの不毛な活動でも構わないけど、コズちゃんはあまりにも無茶しすぎなんだ。それは振り回される側の負担にもなる。もちろんそんな負担は僕はいいけど、優希やこれから入ってくれる新メンバーの子たちにはどう映る」
「でも……」
「確かにコズちゃんに隠しごとをしているのは悪いし、いつか言わなきゃと思ってる。だからちゃんと説明できるようになるまで、しばらくこうしてひとりで考えて……」
「もうっ! 先輩のばかっ!」
「へ……?」
 とても男の子の声とは思えない、悲鳴のような女の子の声がした。目の前の、優希の声だろうか……? 両の拳をぎゅっと握りしめて、優希は涙目になって僕を睨みつけている。
「どうしてそんなに煮え切らないんですか……。僕は霊媒師という立場上知ってしまいましたけど、打ち明けたからって中森先輩が玉川先輩のことを嫌ったり忘れたりするはずがないじゃないですか。見てればわかりますよ。それに、幼なじみなんでしょう? 黙ってることのほうが問題ありますよ」
 そうか……。そうだ、コズちゃんは僕のよき理解者であり、僕もコズちゃんのよき理解者であるはずだ。どんなにケンカをしても、幼なじみというのはそういうものなのだ。
 僕は、なんと臆病で、卑怯なんだろう。コズちゃんのことも信じられずに、自分のことも信じられずにいた。あれこれとどうでもいい理由をつけて、逃げていただけだったのだ。単純に直面したくなかった、この現状に。コズちゃんが僕を忘れてしまうのが怖かったんじゃない。僕がコズちゃんのことを忘れてしまうのが怖かったんだ。
「好きなんでしょう? 中森先輩のこと」
「……」
 僕はやっぱり、コズちゃんのことが好きなんだろうか。僕が今こうして存在している理由が、それなのかもしれない。答えずに黙っていると、優希が諦めの溜息をついた。
「はあ……、ホントに煮え切らない人ですね、先輩は……。わかりました、僕の秘密も今ここで打ち明けますから、そしたら先輩も中森先輩に秘密を打ち明けてください」
「ええっ、なんで、そんな、急に……」
「大丈夫ですよ。先輩が秘密を打ち明けたら、きっと中森先輩も五年前のこと、打ち明けてくれます」
「……あの事件のことは、もういいんだ。迷宮入りで、それでオシマイ……」
「ダメです!」
 僕はびくっとした。
「もう、隠しごとはやめましょう。少なくとも、ミス研では隠しごとはなしです。欺く敵もいないのに、味方を欺いてばっかりでどうするんですか。前会長が卒業されたからこそ、一致団結しないとダメじゃないですか。そうすれば、先輩が抱くミス研に対する悩みも消えますよ」
 隠しごとはなしにする。それはまさにコズちゃんのスタイルにも合致していた。
「……優希には驚かされっぱなしだな。まさかそんなに意志が強かったとはね。わかったよ、優希の秘密って、なに」
 優希はポケットから一冊のアルバムを抜くと、手渡してきた。
「ん? 写真アルバム?」
 僕は紙表紙の薄いアルバムを開いた。赤ちゃんの頃から小学校高学年くらいまでのボーイッシュな女の子が写っていた。場所はどこか山奥の田舎なのだが、巨大な屋敷の中のようだ。髪はショートで、服は洋服よりも袴姿の写真が多い。写真の中の女の子はにこりともせず、きりりと厳しい顔つきをしている。男の子にも見間違えそうな写真がいくつもあった。そして一番最後のページには、どこかの中学校の前で学ランを着た男の子が写っている。その顔は――
「これが僕の、いえ、私の秘密です」
「え……、ええっ!」
 僕はしばらく事態が飲み込めなかった。まさか……、まさか、優希が女の子だったなんて! 僕はあんぐりと口を開けたまま、穴の開くほど目の前の男装少女を見ていた。顔もかわいいし、声も凛としていて高い……。男子の制服を着ていたから、僕らは男子だと思い込んでいたのだ。制服の魔力というものは恐ろしい。
「実は僕……いえ、私……、あーいいや、昔から一人称は僕で通してるんです。写真をよく見てもらえればわかるんですけど、それ、男物の袴なんです」
 そうなのか……。僕は詳しくないからわからなかった。
「僕は幼い頃から男子として育てられてきました。でも、逞しい男性としてではありません。より多くの教養を身につけ、より高い知性を身につけた指導者として、です」
「それは……、どうして」
「うちの家は代々霊媒稼業を営んでいますが、僕の母は今のところ、僕一人だけしか産んでいないんです。つまり家元にとっての跡取り息子、男子がいないんです」
 その話を聞いてようやく飲み込めてきた。よくある男子優性社会の一翼を担わされてしまったというわけか。
「あとは、簡単な話です。分家や親戚たちから圧力をかけられてしまった母は、赤ん坊の僕を男として育てることに決めました。本物の僕は養子に出されたことになり、僕は母が産んだ二人目の架空の男の子として生活することを余儀なくされてきました。他の手段もあったはずなのに、母はなんとも意固地な性格なんです。他言無用の命を与っていますが、いずれ玉川先輩と中森先輩には話しておきたかったことだったんです。やっぱり、隠しごとはいけませんから」
 僕ら二人はしばらく無言になった。古ぼけた教室で時が止まったかのように、しんと静まり返った。窓はすべて閉ざされているため、取り残されたままの色褪せたカーテンのはためく音もしなければ、外の運動部の声も入ってはこなかった。僕は優希の身の上話を聞いて、どうにもやるせない気分になってしまった。
「それは、やっぱりやめてもらうことはできないのか。その、本来の自分の姿で生きたいとは」
「言えません。今さら引っ込みがつきませんし、もしバレたら一族からどのような処遇に遭うか……。すべては宿命です、仕方がないことなんです。母の気持ちも理解できますし、周りの親戚たちの気持ちも理解できるんです」
「優希は、それでいいのか。そんな不条理を、ずっと受け入れていくのか」
「はい。……でも本当は、こんな男尊女卑の社会は早く終わってほしいんです。僕が家を継いだ暁には、女性の家元も認めてあげたい。そのためには、どんな困難にも立ち向かうつもりです。ただ、やっぱり一族には最後まで僕の本当の性別は明かせないでしょうけどね。誰かが犠牲にならなきゃ、仕方のないことなんだと思います」
 そう言う優希の表情はどこか清々しかった。この清々しさは諦めなのか覚悟なのか、僕には判断がつかなかった。だが、おそらく両方入り交じった表情だったのだろう。その表情を見て、僕もようやく決意することができた。
「優希の思い、受け取ったよ。ありがとう。僕もコズちゃんに、全部打ち明ける」
 優希は顔を輝かせた。その笑顔はあまりにも眩しくて、そして、女の子の笑顔そのものだった。


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