黄泉の道化師



 僕らは旧校舎を出ると、その足でミス研の部室に向かった。夕陽がオレンジ色に二つの校舎を染め上げている。過去からはそう簡単に縁は切れない。みんななにかしらの重みを心の中に宿して、なんとか這いつくばって未来へ向かって生きているのだ。僕は優希と一緒に新校舎までの道を歩きながら、なんだかひどく懐かしい、感傷的な気分に浸っていた。
 コズちゃんと仲直りするのは日を改めたほうがよかったのかもしれないけど、一晩明けたらせっかくの決意が揺らいでしまいそうな気がした。まあ、たった一日で揺らぐ決意なんて大したことないのかもしれないが。それに、優希がコズちゃんを部室に待たせてくれているという。僕はその勢いに乗ることにした。
「湊……」
 僕らが部室に入ると、コズちゃんは居心地が悪そうにちょこんと椅子に座っていた。告白前の女の子というより、三者面談の直前みたいな不安そうな顔をしていた。僕は開口一番、優希の話を持ち出した。
「優希のこと、聞いた?」
「うん……。あの……、ムキんなっちゃって、ごめん」
「こっちこそごめん。意地張っちゃって」
「びっくりしたよ、優希くんが女の子だったなんて。あ、優希さん? 優希ちゃん? うーん、なんて呼んだらいいのかな」
「今まで通りでいいです。どうせ明日からもこの格好なのは変わらないですし、秘密をバラしたと知られるのも困りますから」
 優希は苦笑してそう言った。いつどこで誰が話を聞いているかなんて、わかったものではないということか。
「ふうん、そっか。じゃあわたしも湊と同じように優希って呼び捨てにするよ。それにしても、優希も重い悩みを抱えてたんだね……。うん、わたしも隠しごとしてちゃダメだよね。わたしが先に話すから、湊はそのあとで話して。本当はずっと誰にも言えなくて、重すぎてつらかったんだ」
「わかったよ」
 ケンカのことはすっかり水に流れてしまったが、コズちゃんにはコズちゃんなりの苦労があったのだ。僕はバツの悪い顔をしたままコズちゃんの向かい側に、優希は僕の隣に座った。
 僕の決意の糸がほつれないように、コズちゃんの決意を無為にしないように、僕らはコズちゃんの抱える秘密に耳を傾けた。
「二人とも知ってるよね、五年前の事件のこと。あのときわたしは小六で、お姉ちゃんは中一だった。お姉ちゃんは東京の有名な私立女子大の附属中学に受かって、お父さんもお母さんもちやほやしていた。事件が起こったのはそんなとき。お父さんのおかげで、事件は強盗犯の殺人ってことになった。お父さんは警視正だから、そういう情報操作はカンタンだった」
 コズちゃんの声はどんどん冷え込んでいった。心の奥底にある闇の深淵に沈む記憶に自ら浸かっていくのだ。それはとんでもなく苦しいことだが、コズちゃんの決意だ。最後まで真摯に受け止めなくてはならない。
「強盗殺人じゃなかったんだ。それに、名門校の受験に成功したあとだったら自殺するはずがない、か」
「うん。事件の解答はもっと単純。お父さんはお姉ちゃんのことも、わたしのことも、お母さんのこともみんな守ってくれたんだ」
 なにかが脳天で弾ける音がした。絶望に満ちた、受け止めきれそうもないほどの重い音。自殺でもない、強盗でもない、恨みを買うような人もいないとなれば、結論はひとつしかない。
「まさか」
「うん、そのまさかだよ。お姉ちゃんを殺した犯人は、このわたし。お父さんもお母さんも、お姉ちゃんのことを贔屓にしすぎてた。そして、お姉ちゃんもそれを意識してた。わたしはいつも怒られてばかりで、もっとかまってもらいたくて、目をかけてもらいたくて、わたしのがんばりや努力も認めてほしくて……、それで……、それで、みんなが眠ってるときに、お姉ちゃんを、包丁で刺した……」
 コズちゃんはそこまで話すと、次第しだいに目に涙が溜まっていき、やがて、ぽた、と涙が零れ落ちた。いくつもいくつも、涙がコズちゃんの目から溢れ出していく。
 無理もない、と思った。だが僕は心底驚いてしまって、声が出なかった。小学六年のときのコズちゃんの落ち込みようは、ただお姉さんが死んだだけではなかったのだ。実の姉を殺してまで得た親の愛は、どれほど不快な甘さをしていたのだろうか。あのときのコズちゃんの暗さと、今目の前でしゃくりあげているコズちゃんの止めどなく溢れる涙が、それらを物語っていた。
「……お、お姉ちゃんは、さ、刺された瞬間に、め、目を覚ましたの。苦痛に、た、耐えながらも、それでも、それでも……、笑って、わ、わたしを許してくれた」
 コズちゃんはハンカチを取り出して、何度も何度も零れ落ちる涙を拭うと鼻をかんだ。コズちゃんのしゃくり上げる泣き声以外は、部室内で音を立てるものはなかった。
 実姉殺害。その秘密は、重すぎて到底受け止められそうになかった。知らないほうがよかったのではないかとさえ思ってしまう。僕はさっさと自分の話をして、おサラバするべきだったのだろうか。だがケンカで調子に乗ってしまったとはいえ、コズちゃんに秘密を打ち明けるよう促したのは他ならぬこの僕自身なのだ。好奇心の代償は大きい。
 僕らはコズちゃんが落ち着くのを待つ間、どうにかしてその重みに耐え、また受け止めようとしていた。
「……これでわたしの秘密はオシマイ。わたしはまだ時効の成立してない犯罪者というワケ」
 コズちゃんは俯いてうなだれたまま、留置所の中にでもいるかのように自嘲気味にそうつぶやいた。罪は罪。でも、僕はなんとかしてコズちゃんをフォローしようとした。
「でも、それは小六のことだし、ほら、十四歳未満だったろ?」
「十四歳未満でも罪には問われるよ。少年法で裁かれるし、お父さんもわたしを庇ってくれたから、罪に問われちゃう」
「そう、か……」
「うん……。本当は事件の後で自首しようともしたんだけど、お父さんに止められちゃった。悪いのは全部わたしなのにね……」
 再び部室内は沈黙に包まれた。コズちゃんの涙はまだ止まらない。五年間溜め込んできたものが、堰を切ったように一度に溢れてしまったのだろう。計り知れない重みとつらさ。コズちゃんの罪を知って、それをなにもなかったかのように過ごすこともまた、罪になってしまうのだろうか。
 僕はなんとも無力だった。コズちゃんの苦しみを受け止める受け皿になることさえできやしない。その上、この舞台からひとり逃げようとしているのだ。
「僕も人のこと言えないけど、どうして今まで話してくれなかったの」
「……湊は秘密を隠すのが下手だから、すぐにいろんな人に伝わっちゃうんじゃないかって、内心怯えてた。お父さんもお母さんも、表面上はわたしにやさしくしてくれたけれど、心は通わないままなんだ。あたり前だよね、警察官の娘が犯罪者なんて、誰だって嫌だもの」
 コズちゃんは床に、テーブルの縁に、制服のスカートの上に涙を落としながら、いまだうなだれたままそう答えた。
 それは違う、と僕は言いたかった。無論隠しごとが下手だからとかそういうことではなく、コズちゃんと両親との関係についてだ。コズちゃんは事件をきっかけに、家族のつながりは形式だけの、あたかも見かけだけの家族ごっこのようになってしまったと思っているようだが、本当のところは違うだろうと思った。
「コズちゃんの両親はコズちゃんを突き放してるわけじゃないと思う。ひとりになる時間を多く与えて、その、なんというか、コズちゃんの犯した罪について考えてほしいんじゃないかな」
「……どういうこと?」
「コズちゃんのお父さんもお母さんも、コズちゃんのことをちゃんと理解してくれてると思うよ。幼いときに怒られたのだって、なにかよくないことをしたからじゃないかな。それをなんでもできるお姉さんと比較して、劣等感を抱いていただけなんだと思う。コズちゃんはコズちゃんのままでいい、たとえきょうだいであっても比較する必要はないんだって、教えてくれていたんじゃないかな。コズちゃんもなにかがんばって結果を出せれば、きっと同じように褒めてくれると思う。お姉さんが亡くなるときに笑っていたのだって、それを伝えるためだったんだよ、きっと」
 僕はどうにかして最後にコズちゃんの心を救おうとした。必死だったのかもしれない。そんな確証はまるでないのに、思いつきと想像だけでコズちゃんのやったことと、コズちゃんに対する家族の反応を説明づけようとしてしまった。底抜けの明るさを振りまくコズちゃんらしさを、僕はなにより失ってほしくなかったのだ。
「……そうかあ、よく考えたらわたしはいつもがさつで、遊んでばかりで、お姉ちゃんとは対照的な性格だった……。贔屓を妬んでいたんじゃなくて、わたしはただ、お姉ちゃんに対するコンプレックスで溜まったストレスを、そのままお姉ちゃんにぶつけちゃってただけだったんだね……。バカみたい。ホントどうしようもないわがままな子どもだよね、わたし……」
 コズちゃんの瞳からは再度大粒の涙が溢れ出した。どうやらコズちゃんはすべてを受け入れて、自分の中の罪から目を逸らさないと決めたようだ。優希があわててハンカチを取り出して、コズちゃんに渡した。コズちゃんは涙を拭うと、ようやく顔を上げた。
「うん、帰ったらお父さんとお母さんと三人で、じっくり話してみる。面と向かって謝ったこともなかったし、今度こそ自首するのもいいかもしれない。ともかく、話してよかった。この間は無理やり聞き出そうとした湊に腹が立ったけど、ごめんね。ありがとう。あ、ハンカチ洗って返すね」
 コズちゃんは何度も優希のハンカチで目を拭いながらそう言った。
「じゃ、次は湊のことを聞かせてよ。中学時代にあの旧校舎でなにかがあったことはわかってる」
「うん……、まあ、そこまでは隠してないよ」
「やっぱり、例のうわさのこと?」
「うん、あのうわさは内容こそ違えど、うわさ自体は本当なんだ。中二のとき、あの旧校舎の教室から飛び降り自殺をしようとしたやつがいた」
 三年前の中学二年の冬。旧校舎で亡くなった生徒がひとりいた。
「あそこの教室? うわさだと、首吊り自殺ってことになってたけど」
「うん。あの教室の窓から落ちたんだ。首吊りじゃないよ。自殺しようとしたやつの名前は名雲真貴。僕はなんとか自殺を止めようとして助けに入ったんだけど、失敗した。助けに入ったつもりが、一緒に落ちちゃったんだ」
 僕の心臓は高鳴り始めた。ずっと言えなかったこと。ずっと隠し通してきたこと。僕はコズちゃんのことを忘れてしまうのだろうか。そしてコズちゃんも、僕のことを忘れてしまうのだろうか……。僕は歯を食いしばったまま、少しの間黙りこくってしまった。
「……それで?」
 コズちゃんがちらりと優希のほうを見た。なんとなく、わかってしまっているのだろうか。優希は俯いたままだ。考えてみれば優希は共犯と言えなくもない。少しの間とはいえ、一緒になってコズちゃんを騙してきたのだから。
 僕はぐっと唾を飲み込んだ。いよいよ、僕の第二の人生が終わるときが来た。さあ、決意を固めろ、コズちゃんだって優希だって、つらい思いを必死に忍んで思いをぶちまけたんだ!
「……死んだよ」
「そっか、湊は助けられなかったんだね……」
「いや、違う。真貴は助かった。死んだのは、僕だけだ」
「え」
「飛び降りようとしたあいつを助けることはできた。でも、一緒に落ちた僕は打ちどころが悪くて、死んだ。勢いよく頭から落ちたからかな。おかしな話だよね、死のうとしたやつが生き残って、自殺を止めようとしたやつが死んだんだから」
「でっ、でも、でもでも! 湊はこうして、現に生きて……」
「いや、生きてないよ。生きた人間の体に、憑依させてもらってるだけなんだ。優希は霊媒師だから、すぐに見破られちゃったみたいだけどね」
 僕は優希のほうを見た。優希も僕のほうを見返して、頷いた。コズちゃんはあんぐりと口を開けたまま固まってしまっている。僕は続けた。
「僕が借りてるこの体は、実は真貴のものなんだ。真貴はもともと霊媒体質だったから、すぐに僕の幽霊と交信した。僕はまだ生きていたかったし、真貴はもちろん生きる気力をなくしていた。だから真貴は僕と成り代わろうとしてくれたんだ。制服には裏地に名前が入ってるから交換して、所持品も全部入れ替えて、整形外科で顔を変えてくれさえもした。身長と体重はどうとでもなるし、僕と真貴はそんなに体格差もなかった。あとは死体のほうが問題だったけど、僕は真貴にそばにあったコンクリブロックで僕の死体の顔を潰させた。ひどい話だろうけど、真貴は僕のためにやる気を出してくれたんだ。そっちのほうが重要だった。三階から飛び降りたぐらいじゃ顔が潰れるなんてことはないけど、警察はうまく勘違いしてくれたみたいだ。だってこの僕が第一発見者だったんだから、そこで死んでるやつも僕だなんて誰も思わないだろ? 僕の死体は真貴が顔を変えている数日間はどこかに隠してくれていた。たぶん旧校舎の裏じゃないかな。あそこは日もまったくと言っていいほど当たらないし。それにちょうど冬休みだったから、発見が遅れたところでなんの問題もなかった。僕の両親には部活の合宿があるとか、学校のスキー旅行があるとかって言い訳しておけば済む。真貴はブロックもどこかに隠してくれたみたいで、結局この事件も迷宮入りになった。とはいえ、学校の中の自殺事件として処理されたから、あまり公にはされてないけどね」
「そんな……」
 コズちゃんは口を両手で覆って、今にも泣きそうな、それでいて信じられないといった欺瞞の表情を向けている。コズちゃんはお姉さんを殺害した罪を隠し通してきて、僕は自分を生きているものとして親や教師やほかの友達みんなを欺き続けてきた。優希は自分の性別を偽ってまで、親の期待や家の誇りを守り続けてきた。
 まるでちぐはぐな三人。みんな自分の中にもう一人の自分をつくり出して、裏側の自分だけが知る本当の自分と、表側の仮面をつけたニセモノの自分と二人三脚でよろしくやってきたのだ。自覚症状のある二重人格、二人一役。
 だが、道化師たちの道化もこれでおしまい。種明かしをされれば、あっけなく仕組みがわかってしまう手品と同じくらいのあっけなさで、信じていればこそ友達というものは、案外寛容に自分の秘密を受け入れてくれるものなのだ。まあ、多少の驚きは伴うのだろうけど。
 コズちゃんは口を覆っていた両手を下ろして、ゆっくり一回深呼吸をした。
「まさか、湊が死んでたなんて……。ホント、隠しごとは下手なくせに、人を騙すのはうまいんだから……。わたしもわたしだけど、どうしてもっと早く言ってくれなかったのよ」
「ごめん。決心がつかなかったんだ。コズちゃんが僕を忘れてしまうかもしれないと思って」
「なに言ってんの、忘れるわけないじゃない」
「うん、ごめん。信じるよ、コズちゃんは僕のことを忘れないって。でも……」
「でも、なに」
「僕のほうは、コズちゃんのことを忘れちゃうかもしれないんだ」
「えっ……」
「人は死んだらどうなるのかはわかった。でも、成仏しちゃったらどうなるのかはわからない。おそらく、もう二度とコズちゃんには会えなくなるかもしれない」
「そんな……」
「自分の死を偽るなんて、ロクなもんじゃなかった。真貴の両親はひどく悲しんだし、僕の遺骨は名雲家の墓に納められてる。戒名だって真貴のものだし、こんな僕が成仏できるかどうかも怪しいけど、やっぱり人を騙すのはよくないってわかったよ。これが終わったら、真貴に全部打ち明けてもらうことになってるんだ。真貴の両親、うちの両親、それに校長先生にも。学校には今まで通り僕の顔と名前で通ってもらうのもいいけど、真貴にその気があれば元の顔にも直せるんじゃないかな。まあ、その辺りのことはよくわからないんだけど」
「なんでよ、いいじゃない、このままこうして留まってれば」
「……」
 死者が現世に留まるのは未練があるからだ。現世に留まる幽霊は未練を晴らせば成仏する。それが世の理だ。
「わたしも知っちゃったんだし、一緒に説明しに行くよ。理解されなかったら、お墓の骨壷だけこっそり入れ替えちゃおう。墓荒しみたいだけど、湊のためだしね。それに、お墓の下ってどうなってるのか気になるしさ」
 こんなときにも調子のいいことを言っているが、それがコズちゃんのいいところでもあった。黙っていると優希が言う。
「先輩、成仏してもこちらに戻ってこられる方法もありますよ。口寄せをすればいいんです。それにお盆とお彼岸にも帰ってこられるかもしれませんし」
「そっか。口寄せって、イタコの仕事よね。優希くんは、口寄せってできるの」
「はい、できますよ。だから安心してください」
 優希はそう言ったが、なにを安心するというのだ。それを生者のエゴだと思ってしまうのは、同じように死者のエゴ、あるいは羨望だろうか。
「もう、いいんだよ。未練を晴らしてさっさと休みたいんだ。ミス研にはコズちゃんがいる。真貴もずっと僕にアドバイスをくれていたし、もう大丈夫だろう。あ、真貴は明日からミス研メンバーだから、よろしくね」
「なによそれ。わたしたちを置いてひとりで逃げるつもり? そんなの嫌だよ、ねえ、ずっとここにいてよ」
「そんなこと言われても……」
 僕もコズちゃんと離れるのは嫌だった。でも、そろそろ休みたいというのも本音だった。優希の口寄せでいつでも戻ってこられるのだ。世の理なんて、案外融通が利くものなのかもしれない。
「大丈夫だよ、優希がいるから、好きなときに会える。だから安心して。隠しごとを全部解消するには、こうするしかないんだ」
「……わかった、待ってる。じゃあ、湊の未練って、なあに?」
「……僕は、コズちゃんにずっと言えなかったことがあるんだ」
 心臓が再びどくどくと脈打ってきた。もう死んでいるのに、人の体を使って心臓を脈打たせるなんて、本当におかしな話だ。
「僕はね、コズちゃんのことが、好きだったんだ」
「ほ……」
 ほ? まあどうでもいいが、ようやく言うことができた。幽霊でも告白の際は緊張するみたいだ。
「ななななによそれ! それが湊の最後の未練? バッカじゃないの? バカッ! もうーっ」
 コズちゃんは両手で顔を覆い隠してしまった。耳が真っ赤になっている。それを見て僕は思わず吹き出してしまった。やっぱり、まだまだ生きていたかった。コズちゃんのことがかわいくて、愛おしくて仕方がなかった。コズちゃんと一緒に真夜中の学校に忍び込んだり、部室で駄弁ったり、優希も一緒にまたバカげたうわさや都市伝説を追い回したりしたかった。
「もう、なによそれー。笑わないでよ」
 自殺なんて、本当にくだらない。不慮の事故で死ぬのも、ひどく哀しい。きょうだいを殺したり殺されたりするのだって、その後の人生が狂ってしまうのだ。生きていればこそ、感じる歓びは山のようにあるのに。おいしいご飯を食べて、部室で笑いあって、ときどきケンカをしたり、恋をしたり、お互いの秘密をこうして分かちあったり。どんなにつまらない毎日でも、どんなに不遇な家に生まれてきたって、その歓びの絶対値は、生きてる誰しもに等しいはずだ。
「それじゃあ、行くよ。会いたくなったら、優希に頼んでくれ。今まで、ありがとう」
「湊のバカッ! これじゃあ、真貴くんの顔を見るたびに意識しちゃうじゃないのよ!」
「いいんだ、今までの幼なじみでいてくれれば。それに、なにも真貴と付き合っちゃいけないなんて言ってないだろ」
「え、ええっ? ちょっと待ってよ!」
「ははは、楽しい人生だったよ。それじゃ、またね」
 ガクンと体から力が抜けた。背もたれに体を預けて、手がぶら下がり、頭がうなだれた。優希が近寄ってきて、手を握って様子を見ている。コズちゃんはその様子を若干嫉妬が入った表情で見つめているようだった。僕はおかしくて笑いそうになったけど、もう声を発する肉体はなかった。
「う……」
 どうやら真貴が目を覚ましたようだ。優希はほっとした表情、コズちゃんはドキリとしている。コメディを観ているようで、おかしくて仕方がない。
「……あなた、名雲真貴くん?」
「ああ。湊はもう、逝っちまったか」
 そう言いつつも、ちらりと窓の外にいる僕のほうを見た。僕は手を振ったつもりだけど、みえている二人には伝わっただろうか。
 どうやら僕はまだあと少し、ここに留まっていられるようだった。お迎えが来るまで(来るかどうかは知らないが)、部室内の観劇に興じることにした。
「は、はじめまして。わたしは、ミステリ研究会の会長で……」
「あー、いい。知ってる。“コズちゃん”だろ? あいつずっとウジウジ悩んでるから、何度かアドバイスしてやったんだ。さっさと告っちまえよってな」
 コズちゃんの顔が再び紅潮した。
「あいつが逝ったってことは、どうやら未練は晴らせたみたいだな。あんたの顔を見てもわかるし。なあコズちゃん、告白の返事はOKしたのか」
「な、ななな」
「まあどっちにしろ、幽霊と付き合うのは無理だけどな」
 真貴も楽しんでいるようだった。いじる役はいつもコズちゃんのほうなのに、見事に立場が逆転してしまっている。
「あいつには心底感謝してるよ。死の淵から掬い上げてくれたんだからな。それで死んだあいつのために生と死の逆転劇を繰り広げて、貸し借りナシってワケだ」
「あ、あんたねえ! 自分の友達が死んだんだよ? わかってる? それも、あんたを助けるためにだよ? 湊と同じ顔してるからって許さないんだからね!」
「それは誰よりもわかってるつもりだ。湊の死は一生十字架として背負っていく。でも死んだ人間のことをうだうだ考えてたって仕方がない。あいつもそれを望んでないし、あんたの姉さんだって望んでないだろう。死者に縛られてちゃ、いつまで経っても先へは進めないからな。それじゃあ早速行くか? 迷宮入り事件の解決編に」
「う、うん。……でもやっぱり、湊のやつ逃げたんだよ。自分で説明すればよかったじゃない」
「そいつは違うな。あいつはおれのことを信じてくれたんだ。もう死んでるやつが説明するよりも、生きてるやつにこれからのことを任せたかったんだろう。なんとかこれから湊の期待に応えて生きていかなくちゃならないしな」
「……そうか、うん、そうだね」
「それじゃあ暗くなってきたし、もう行くとするか。湊、またな。あの世に飽きたら帰ってこいよ。いつでもお前の依代になってやるからな。天上の土産話、楽しみにしてる」
 真貴は僕のほうを見てそう言うと、振り向きざまに窓の外に向かって手を振った。
「え? え? 湊、まだそこにいるの? あの野郎ー、さてはわたしたちのこと笑って見てたな!」
 コズちゃんが赤く充血した目で窓の外をキョロキョロと見回している。涙は止まっているが、泣き腫らした目はどこか頼りない。コズちゃんもこれから両親とケリをつけにいくのだ。僕は少しばかり不安になったけど、それでもやっぱり信じることにした。コズちゃんなら、きっと大丈夫。
「それにしても、真貴くんの自殺した理由ってなんだったの? ウチの同好会は隠しごと禁止だから、ちゃんと話してもらえる?」
「……霊感が原因だよ。昔から変なモノをよくみてきたからな。周りの人間はそれが嫌だったらしく、親からも、親戚からも、先公からも疎まれてきた。友だちという友だちはひとりもできなかったし、自分のほうからも自然と周りを避けていたんだろうな。変にかかわってこようとする湊が鬱陶しく感じたぐらいだ。それで中学二年の冬に、もういい、もうここで終わりでいいって決心した。でも、たかが三階からの飛び降りだ、大した決心じゃなかったのかもな」
「……そうなんだ。でも、ご両親は悲しんでたって」
「ああ。親も本当はおれのことを疎んじちゃいなかったんだって、そのあとですぐに気がついたよ。湊には貸し借りナシとは言ったけど、それは形式的なことで、まだまだあいつには返さなくちゃいけない借りがたくさんある。せっかくあいつに生かしてもらった命だ、これから一生かけて返していくつもりさ」
「うん……、わかった。真貴くんも明日からウチのメンバーだからね」
「へいへい、ミステリなんてまったく興味ないんだけどな。湊の遺言だから来てやるよ」
「なっ、なによそれ! わたしはこの同好会の会長よ! からかうのは許さないんだから!」
 僕にまだ体があったなら、大声で笑っていたことだろう。でも体がなくたって、命がなくたって、僕はそのとき確かに心の底から笑っていた。
 真貴はそんな僕の姿を目の端に捉えて、ニヤリと不敵な笑みを見せると、教室から出て行った。優希があとに続いて、コズちゃんが窓の戸締りの確認にきた。真貴が見ていたほう、つまり僕が浮かんでいるであろう場所を見て言う。
「湊、まだ、ここにいるんだよね? 見てたんならわかるだろうけど、わたしも本当は……」
 言葉が途切れる。コズちゃんは鼻をすすって、滲んだ目を擦った。赤く充血した目で言う。
「また、会いにきてよね。優希が呼んでくれるから。約束だよ。絶対、会いにきてね」
 ああ、約束するよ。今途切れた言葉の続きを、ちゃんと聞くためにね。
 コズちゃんは窓の鍵が閉まっていることを確認すると、電気を消して、部室を出た。廊下では真貴と優希が待っていて、二人でなにか話している。おいみたか? あいつ、抱腹絶倒してたぞ。笑いあう二人。
 コズちゃんは最後に、いつものとびきりの笑顔を見せた。陽が落ちて薄暗い部室棟の中で、その笑顔はやっぱりあまりにも眩しかった。無理しているのだろうけど、決して悲しそうな顔は見せない、相変わらずのコズちゃんらしさによる眩しさだった。僕にはコズちゃんの笑顔はもちろん、優希の笑顔も、真貴の笑顔もみんな眩しすぎた。生きとし生ける者のみが発せられる、生命の神秘の放つ光だ。
 やがてゆっくりとドアが閉まって、静寂が訪れた。僕が死んでからの三年間、僕がしてきたことはどんな結果をもたらしたのだろうか。いいことをしたかもしれないし、悪いこともしたかもしれない。でも、結果なんて大事じゃない。大事なのはなによりも過程だ。諦めない力は、きっと他のどんな力よりも強い。
 だってそれは生と死の世の中の理を、少しばかりねじ曲げられるくらいだからね。


Thank you for reading.
2011.03.03

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