ハイブリッド・サムデイ


     3


 少しして、玉菜もあとからやってきた。それを見てわざわざ小駒が説明してくれる。
「こいつにはなァ、お前のいた部室を見張らせてたんだ。お前が部室を出たのを確認して、こいつもここに呼んだってわけだ」
「そういうこと。こいつひとりだと思って一瞬安心したか? 昨日殴っちまったのはオレなんだから、こっちが詫びを入れるのが筋ってもんだしな。まあ、あれだよ、昨日はすまなかったな。謝らせてもらう、ぜッ!」
 と同時に腹にパンチを食らった。一瞬のうちに玉菜が懐に入り、突き上げるようにみぞおちにクリーンヒットした。俺は一瞬息ができなくなり、その場に崩折れた。なにが詫びを入れるだ、なにが謝るだ。そのパンチは昨日の泥酔したものとは比べ物にならないほどの重みだった。
「おーおーおー、いったそうだなァ。テメェが悪いんだぜェ? 昨日オレのバンドの演奏も見ずに帰っちまうからよォ。もうちょっとお話したかったしね。んで」
 小駒は近づいてきて俺の髪をつかんで持ち上げた。
「なァ、ウチのサークルに入れよ。入ってくれたら、昨日の情報料は返してやってもいいぜ。なあに心配するなって。ちゃんとドラムを叩けるように、みっちり仕込んでやるからよ」
 そう言いながらペチペチと俺の左頬を意思を確認するように軽く叩いてくる。昨日殴られた場所だ。神経がピリピリした。俺はヤツの靴に唾を吐きかけると言った。
「……誰が、入るかよ、カス野郎」
 それを見た小駒は俺の腹に蹴りを入れてきた。腕で押さえてガードしようとしたが、踏みつけられてしまう。アスファルトと手の甲の皮膚が擦れた。仕方ないので体をくの字に曲げ、脚でガードしようとしたが、今度はつま先が顔面に飛んできた。避けられるわけもなく、鼻に入った。案の定、鼻血が出た感覚がした。
「あまり調子に乗らないほうがいいよ。ウチのサークルにはもっと怖い先輩がいるしねー。ま、オレたちだってこんなことやりたいわけじゃないんだけど、昨日キミを取り逃がしちゃったからさあ、やらなくちゃいけないんだよ、罰として」
 玉菜がしゃべっている。なにが罰だ、畜生。
「……まァ、いい。キミをウチのサークルに推薦入部させてあげようじゃないか。これでこの時点から晴れてウチのメンバーになれたわけだ。なあに、面倒くさい自己紹介やメンバー登録なんかは必要ない。キミは今この場でウチのサークルの一員として登録されたわけだ。望月くん、軽音サークル『メイク・オア・ブレイク』へようこそ!」
 頭は怒りで燃えているが、体が動かないため反抗のしようがなかった。なんとか気力を搾って立ち上がろうとするも無理だった。そしてその動きだけで、また蹴りを入れられた。
「つーわけでェ、入会費と年会費の徴収をさせてもらってもいいかなァ? あ、オレ会計を任されてんだよ。んじゃあ、財布を拝見――」
 小駒は俺の尻ポケットから財布を抜いた。今ここで思ったのは、あとで部室に戻ると言って荷物を置いてくるんだった。あのサークルにはこんなヤツらみたいに人の財布から金を盗む人もいなかっただろう。後悔先に立たずだ、失敗した……。
 結局、俺はなにも抵抗できないのか。思い返してみれば、ガキの頃からケンカはからっきし弱かった。一度も勝てたことがない。いつも負けて、泣きべそをかいていただけだった。また、負けた。また、自分の身ひとつ守ることができなかった。このままこいつらにカモとして金を搾り取られ続けてしまったら、今後の生活は一体どうなってしまうのだろう。俺は泣きそうになった。ホント、なにやってんだろうな、俺――
「なにやってんだよ、お前ら」
 どこかから声が聞こえた。頭を持ち上げて見てみると、椒が喫煙所に入ってきた。そういえば、彼も喫煙所に行ったんだった。ここには最初小駒しかいなかったから、別のところにいたのだろうか。
「ゴメンなー新入生くん。ちょっとトイレが長引いちゃってさ、喫煙所に来たの今なんだ。そしたら変な二人組がだっせぇことしてるじゃん。さすがに見て見ぬふりはできないなー。もうキミはウチのサークルメンバーとして考えてもいいのかな?」
「あァ? なんだテメェ。へッ、残念だったな、こいつは今からウチのサークルのメンバーになったんだ。これはカツアゲじゃない、入会費の徴収なんだ。部外者は引っ込んでろ」
「ふうん、入会費の徴収をするために殴る蹴るの暴行が必要なんだ。それをカツアゲっていうんじゃないのかい? 無理やり金を奪おうとしてるようにしか見えないんだけど」
「知らねェよ、そっちが勝手にそう思ってるだけだろ。出てけよ、こっから」
「嫌だと言ったら?」
「テメェが嫌いな殴る蹴るの暴行をしてやるよォ! 玉菜、行けッ!」
 犬にフリスビーを追いかけに行かせるように、小駒は玉菜を椒に向かわせた。小駒は再び俺の手を踏みつけ、逃げられないようにしてきた。
「カツアゲみてーなチンケなことするただのチンピラにこの俺が負けるわけねーだろ。来いっ!」
 椒は意気込んで構えた。が、玉菜は繰り出された椒の拳をあっさりと受け流し、顎にアッパーを食らわせた。椒はなんともあっけなく地面に伸びた。
「口で言うわりに大したことねえな。ただのザコじゃねえか。なあ小駒、こいつどうす――」
 玉菜が言いかけたときだった。玉菜の体は宙に浮いて、一瞬のうちに地面に叩きつけられた。この投げ技は、さっきも見たような――
「ニコチン野郎はダメだね、こういういざというときにまったく動けないんだから。えーっと、望月くんって言ったっけ。用事ってこういうことねー。いやー、キミの様子がちょっと変だったからさ、蓮華に見てきてくれって頼まれたんだよ」
 麻理衣だった。さっき椒を投げ飛ばしたときと同じように、簡単に玉菜を地に伏せさせてしまった。男相手では敵わないかもなんて見くびってしまって、俺はなんだか申し訳ない気持ちになった。
 玉菜は立ち上がり再び麻理衣に立ち向かっていった。意味不明の言葉を叫んでいる。気を失わなかったところを見ると、おそらく玉菜もなにか格闘技をやっているのかもしれない。だがしかし、それでも麻理衣には話にならなかった。
「こんなチンピラがウチの大学にいるなんてねえ。やっぱりクソ大学もいいとこだ。まあ、そんなクソ大学にいるアタシもアタシなんだけどさ。ホラ、そっちのモヤシもかかってきな」
 小駒はひっ、と軽く悲鳴のようなものをあげると一目散に逃げようとした。しかし、麻理衣によって逃げ場を塞がれてしまった。別の方向へ逃げようとしたが、いつの間に復活したのか、今度は椒が道を阻んだ。
「おとなしく降参しろ!」
「どけェェ!」
 玉菜にあっさりとやられた椒になら勝てると踏んだのか、小駒は細い腕を突き出した。どうやら小駒のほうはなにも格闘技はやっていないようだ。見え見えのテレフォンパンチである。椒はいとも簡単にカウンターを入れ、その隙をついて麻理衣が後ろから羽交い締めにした。あまりにも小駒が暴れるので、そのまま投げた。今度は地面には叩きつけず、寸止めだった。最後に椒が俺のお返しをするかのように、腹に蹴りを一発入れた。小駒はがくりとうなだれて、おとなしくなった。
 
 
 二度と俺に対してカツアゲをしないことや、呼び出しをしたり、部屋に押しかけたりしないことを小駒に約束させ、俺たち三人は喫煙所をあとにした。
「望月くん、大丈夫?」
「ええ、まあ、なんとか」
「さっきも気づいたんだけど、その左頬のアザもやっぱりあいつらにやられたのか」
「ええ、そうです。昨日やられました」
「ふうん、そっか。あの片割れのフットワークを見る限り、ボクシングでもやってるんだろうな。油断しちまったよ。それにしても、災難だったなあ」
「ケッ、なあにが災難だよ。ああいうヤツらが野放しになってるからウチの大学の品がどんどん下がっていくんだ。いいか望月、またあのウジ虫どもがたかってくるようなら真っ先にアタシを呼びな。すぐに駆けつけて投げ飛ばしてやる。だから安心しな」
「いきなり頼れる先輩面か? さっきまで望月くんを脅してたのはどこのどなたさんでしたっけ?」
 エレベーターの中、椒のからかいのセリフを聞くやいなや麻理衣はキッと睨みつけた。椒はあわてて口をつぐむ。たぶん、麻理衣は困っている人を見ると放ってはおけない性分なのだろう。俺は麻理衣のことを姐さんと呼びたくなる気持ちを必死に堪えた。
「でも、ヤツらはもっと怖い人がいるって言ってました。もしその人も駆り出されたとしたら……」
「ケッ、どーせ大したことないよ。まあ、万が一アタシが敵わなくたって蓮華がいるから大丈夫。……っていうか、アタシはまだあんたをウチのメンバーに迎えると認めたわけじゃないからな」
「素直じゃないねえ」
「さっきの答えを聞いてからだ。ホラ、入りなよ」
 手話サークルの部室の扉の前、俺は麻理衣に促されて中に入った。なんとなく気まずかったが、入ってみると蓮華と祐佳里はのんびりアイスを食べているだけだった。やっぱり、普段の部室の雰囲気はとても穏やかなように感じた。
「おかえりー。どうだった?」
「蓮華の言ったとおり、こいつ変な二人組にからまれてたよ」
「ふうん、モッチーもひどい目に遭ったねえ」
 初めて会ったその日のうちにあだ名で呼ばれてしまっている。でも、それほど悪い気はしなかった。蓮華には簡単に人と打ち解け合う力があるみたいだ。
「ちゃんと片づけてきた?」
「うん。二度と手え出させないって誓わせてきた。それにしても、なんなんだろうねああいうの。新入生の勧誘に必死なのはわかるけど、やりすぎっつーか行きすぎっつーか……」
「単純に悪用してるだけだろー? 宗教サークルなんかと一緒だよ。第一、あいつらがウチの大学のサークルかどうかも怪しいもんだ」
「まあまあ、そんな話は忘れちゃおう。せっかくモッチーも戻ってきてくれたんだし、さっきの質問の回答、きいてもいいかな」
「はい」
 祐佳里に会うためだけにここに来たか、手話サークル自体に興味があって来たか、それとも祐佳里の所属しているサークルに入るためだけにサークルのジャンルを問わずに来たか。
 答えは決まっていた。でも、その答えの先に本心があった。
「――さっきの質問の答えは、両方です。祐佳里さんにも興味があったし、サークルはどんなサークルでもよかった」
「テメッ……」
 また荒れそうになった麻理衣を蓮華が手で制した。
「本当に、どんなサークルでもよかったのかな」
 確かにどんなサークルでもよかった。でも、実際に部室での雰囲気を見て決めようと思ったのだ。決して無差別な基準ではない。
「……はい。でも、今までいろんなサークルの新勧を見てきて、どこもしっくりこなかったんです。祐佳里さんが手話サークルにいるって聞いて、手話サークルのほうにも関心を持ちました。確かに俺は福祉学部じゃありませんし、福祉全体にはあまり興味がないかもしれません。でも、手話には少し興味があります。障がいを持った人たちのためにできることが俺にもあるなら、それをやってみたい。サークルは実際に部室での雰囲気を見てから決めようと思っていたんですけど、ここはしっかりしてそうだし、雰囲気もよさそうだし、ここで手話が学べるというのなら、やってみようと思うんです」
 素直な気持ちを俺は吐露した。少しだけ偽善に聞こえるかもしれない。こじつけのその場しのぎにしか聞こえないかもしれない。それでも、サークルに入るための気持ちなんてそんなに厳格に審査されるわけじゃないだろう。やってみたい。課外活動として、今まで自分の知りえなかった世界を知りたい。そんな思いで十分なはずだ。なによりも麻理衣の誤解も解かなくちゃならなかったし、俺は熱に浮かされたようにそんな言葉を走らせていた。
「そっか、その気持ちは本当なんだね。じゃあもしユカリンがここにいなくても、ウチのサークルに来てくれたかな」
「手話サークルがあるってことを俺はそもそも知りませんでした。なので、知る機会がほかにあったのなら、来ていたと思います。たまたまそのきっかけが、『デトネーション』っていうバンドだっただけなんです」
 しばらく蓮華は俺の目の奥をじっと見据えていた。目を逸らせてしまったら、言葉の持つ力は極端に弱くなる。こちらも負けずに見返し続けた。時間がやけに長く感じられる。
「――うん、いいよ。合格。ごめんね、試すようなことしちゃってさ。なんか裁判ってよりはサークル入会試験だねこりゃ」
 そう言うと蓮華は今度は口を開けて笑った。裏のある笑顔ではなく、単純におかしくて笑ったようだった。
「えーっ、そんな、納得いかないって! まさに今考えたって感じの御託ばっか並べやがって。テメェの本性なんざなあ、こっちは全部お見とお――」
「マリリン。私が人の目を見て判断したことに間違いがあったかい? 自分の主観ばっかり言い連ねて、全然モッチーのこと見てあげてないじゃないか」
「それは……」
「憧れの人がやってることを自分もやってみたいって思うのはいいことだよ。福祉学部でもないのにさ、ボランティア精神あふれるいい子じゃないか。ねえ、ユカリン」
 蓮華は祐佳里に話を振った。すると、テーブルの上で祐佳里の両の手が蝶の羽ばたきのように舞った。長い指と長い爪が、その美しさを際立たせる。指先の動き、手首の動き、腕の動き。両腕全体を使って交わされるジェスチャー・コミュニケーション。
「ふうん、そっか。おっと、モッチーにはわからないね。ユカリンも賛成だってさ。バンドにも手話にも興味持ってくれたことがうれしいし、なにより仲間が多いほうがいいからだってさ」
 俺は認めてもらえてよかったと思う反面、腑に落ちないところがあった。なぜ、祐佳里は手話で話すのだろう。バンドもアマチュアにしては人気があるみたいだからマスクをつけるのはわからないでもない。でも、昨日あれだけの歌声を披露していたのに一言も発しないのは少し変だった。
「あの、祐佳里さんはなんで手話を――」
 そこまで言ったところで、全員の視線が矢のように突き刺さってきた。この話題もタブーというわけか。祐佳里に対しては誰もが過保護になるみたいだ。きっとなにかしら事情があるのだろう、俺は自分の不躾な質問を少し恥じたが、そんな余裕はすぐになくなった。
「テメェ、やっぱり祐佳里の詮索をするつもりだな。祐佳里がそう言うならって許しかけたアタシが甘かった。蓮華! やっぱりこいつ、追い出そう!」
 せっかく誤解が解けかけてていたのに、また元の木阿弥になってしまった。誰しも心の窓を無理やりこじ開けられそうになれば、拒否反応を示すのもまた当然だった。
「すみません、軽はずみなこときいちゃって」
「今さら謝ってんじゃ――」
 麻理衣が言いかけたところで、再び祐佳里の手が舞った。またもや、俺にはなにを言っているのかさっぱりわからない。
「――祐佳里、いいのか」
 椒が受け答えると、祐佳里はこくんと頷いた。また両手を使って意思伝達をする。
「そうか、わかった。まあ、望月くんも晴れてウチのメンバーになったわけだし、知っといてもいいだろう。な、麻理衣」
「……祐佳里がそう言うんだったら、いいけどさ」
「煮え切らないなあ。じゃあ話すよ。祐佳里は隠しておくことでもないし、望月くんがこれから手話をやるなら知っておいてもらいたいって言ってる。実は俺と祐佳里は同じ小学校に通っててな、あの事故のことは全部知ってるんだ。俺にとっても祐佳里にとっても正直かなりつらいんだが、祐佳里、本当にいいのか」
 祐佳里はまたこくんと頷いた。機械じかけの人形みたいだった。椒は軽くため息をつくと、重そうな口を開いた。
 
 

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