ハイブリッド・サムデイ


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「あれは俺たちが小六の頃、祐佳里がこんな声になっちまったのは、大きな土砂崩れの事故が原因だった――」
 椒の話によれば、その日は三日前から台風の影響で大雨が降り続いていた日だったという。椒と祐佳里の通っていた小学校は山間部に位置する小さな町の中にあり、分校が二つあった。少子化の世の中だ、本校の全校生徒は二十人にも満たなかったという。
 土砂崩れはそんな小さな山あいの町にあった小学校と二つの分校をすっかり飲み込んでしまうほどの規模だったらしく、雨も小ぶりになり、ようやく台風が去ったかと人々が安心した矢先に起きた災害だったという。
 祐佳里の家も被害を受けた。祐佳里は壊れた家の下敷きになり、その際に喉にケガを負った。椒が医者から聞かされたことには、救急隊員が祐佳里を見つけたとき、家の木材が喉に突き刺さっていたという。椒と祐佳里はもちろんのこと、麻理衣と蓮華もつらそうな表情をしていた。
「――喉の手術をしたけど声帯が傷つけられていて、声は出るようにはなったものの元には戻らなかった。でも祐佳里は前向きで、その声のままバンドでボーカルをやってる。俺は聴いたことないけど、デビューも目前だっていうじゃないか。だからそんな健気な祐佳里に対して麻理衣も過剰に反応してしまったんだと思う。そういうわけで望月くん、さっき麻理衣に怒鳴られたことは許してやってくれないか」
「アタシはそんな――」
「麻理衣。もう望月くんはウチのサークルのメンバーだ。入会の動機はどうあれ、俺たちはもう仲間なんだ。望月くんだって、祐佳里に固執してるだけじゃないって言ってるじゃないか。なによりウチの幹事長と祐佳里本人も認めてる。新しい仲間が増えたことに、まずは乾杯だろ? 違うか」
「……そうだけど」
「マリリン、いつまでも誤解したまま望月くんに突っかかるのはやめなさい。さっきは彼のこと助けに行ってくれたし、また望月くんが困ったことになったら助けてあげるって決めたんでしょ。いいかげん素直になりなさいな」
「う……ん。わかったよ」
「はい、じゃ仲直りの握手」
「へーい。さっきは悪かったよ。祐佳里が目当てなんじゃないってこともわかった。単純に手話に興味があって、『デトネーション』のファン……ってことで、いいんだよな」
 麻理衣は右手を差し出しながら俺にそうきいた。確かに祐佳里だけじゃない。もちろん祐佳里のことも興味があったが、なによりもあのバンドが好きになってしまったのだ。デビュー目前だというのなら、純粋に応援したい気持ちが強かった。俺も右手を差し出しながら言う。
「はい、そうです」
「アタシも祐佳里のバンド、『デトネーション』が好きなんだよ。これで望月も祐佳里の過去のこと知っちゃったわけだし、なんというか、お互い見守っていこうぜ!」
 そう言うと麻理衣は俺の右手を強く叩いた。パァンという小気味のいい音が鳴った。「手話さあくるHAND CLAPPING」。サークル名が指し示すとおり、麻理衣は握手ではなく俺と手を叩き合わせた。その音を聞いて、俺は自然と微笑んでしまった。これが大学。これがサークル。中学や高校にはないこの自由さが、俺にはとても心地良かった。
「よっしゃーっ! 歓迎会だーっ! バカマリもこれでちょっとは落ち着いてくれると助かるんだがなーっ」
「テンメェ、ふざけんなよ? だけど今日は許ーす! 野郎ども! 飲みいくぞーっ!」
「イエーイ!」
 椒と麻理衣は吹っ切れたように二人ではしゃいでいる。
「はいはい、私は野郎じゃないんだけどね。じゃ今から空いてるお店探すから、ちょいと静かにしててねーっ! モッチーはもちろん来るよね。ユカリンも来るかい?」
 祐佳里の首はまた同じように縦に動いた。みんなの言うことならなんでも受け入れて肯定し、否定などしないように見えた。祐佳里は俺が見ていることに気づくと、そばにあったノートを取って開き、ペンでなにか書き始めた。手話をまだわからない俺のために筆談をしてくれるのだろう。書き終えると、それを俺のほうに向けた。
《あんな過去があったけど、あたしのことを気に病む必要はないからね。もちろん生まれ故郷が半分なくなっちゃったのは悲しいけど、そのおかげでこの声を手に入れられたんだから》
 強い女性だな、と俺は思った。自分の通っていた小学校が土の下に埋まっても、喉に傷を負って普通の声が出せなくなっても、逆境にめげず、むしろそれを逆手にとって自分の武器にしている。今そんな強さを持った人がこの世界にどれぐらいいるのだろうか。祐佳里はノートに続きを書いている。俺はひどく眩しいものを見ているような感覚を覚えた。再び、祐佳里はノートに書かれた文字を俺のほうに見せる。
《亡くなった方たちもたくさんいるけど、あたしとあたしの家族、仁科くんと彼の家族、それに仁科くんの友達やほかの人たちもたくさん生きてる。だからこそ、その人たちのためにもがんばらなくちゃって思えるんだ。やれることもいっぱいあるはずだから》
 俺はその言葉にひどく感銘を受けた。祐佳里と同じようにこくんと頷く。直接自分とは関係のない災害事故だけど、俺にもなにかできることはあるだろうか。
 祐佳里は音楽を通じて亡くなった方たちの分まで精力的に活動しようとしている。たとえそれがデスメタルであっても、その思いの強さは変わらない。さっき麻理衣が言ったように、そんな彼女を支えていくことが俺たちにできることなのだとしたら――
「俺、『デトネーション』のライヴは必ず観に行きます。チケット代もちゃんと払うし、ライヴ情報があったら逐一教えてくださいね」
 そう言うと、祐佳里の顔がぱあっと輝いた。そのあとで、照れたようにはにかみ笑いをした。思えば、無表情だった祐佳里が表情を変えたのを見たのは、これが初めてのことだった。
「みんなー、空いてるお店に予約とれたから行こうか」
 おーっ! という歓声が狭い部室に響いた。俺は祐佳里と一緒に立ち上がって、三人の先輩のあとについていった。
 お店はチェーンの居酒屋、飲み放題のある店だった。そういえば、このサークルの入会費や年会費はいくらなのだろう。あとできいてみようと思った。
「えー、それでは! 新メンバー・モッチーの入会を祝して! かんぱーい!」
 蓮華の音頭のあと、俺たちはグラスをぶつけ合った。さっき麻理衣と手を叩き合わせたときのように小気味のいい音がして、俺はグラスに口をつけた。
 新勧期はたとえ未成年であろうがなかろうが、新しくそのサークルに入会しようとする者ならば誰でも飲酒を強制されてしまうサークルが多く、店側も見て見ぬふりをするのが現状だ。ましてやウチの大学にはこれが非常に多く、俺が今まで参加したサークルの新勧飲み会ではほとんど強制されてしまっていた。しかしこのサークルはそんなことはなく、各々が自由に飲んでいた。酒に弱いという蓮華と祐佳里はまったく飲んでいなかった。大声で話しまくる麻理衣と椒を乾いた目で見ていた。俺のほうはというと、殴られた場所もまだ痛むので控えておいた。なんとなく、遠慮もあった。
 出鼻こそくじかれてしまったが、こうして俺の大学生活は始まった。これからの授業やサークル活動、バイトやひとり暮らしが楽しみだった。たくさん仲間もできるだろうし、たくさん学べることもあるのだ。この四年間を、俺は大事にしたいと思った。
 しかし大学生活開始早々に訪れた悲劇は、山の斜面を滑り落ちる土石流のようにそう簡単には止まってくれなかった。あの心の軸がねじ曲がった小駒が、麻理衣に釘を刺されたからといってそう簡単に手を引くわけがなかったのだ。
 標的は、俺ではなく祐佳里に向いた。
 
 
 授業が始まってから一週間が過ぎた。俺は空いた時限やバイトのない日の授業終わりには必ずといっていいほど部室に足を運んでいた。手話はコミュニケーションツールであり言語だ。使う頻度が多ければ多いほど上達率もアップする。
「デトネーション」のライヴも数日前に一度あり、もちろん観に行った。相変わらずすごい熱気で、コアなファンで会場は満員。もう事務所との話も進んでいるようで、あと一歩でインディーズデビューだという。たとえインディーズでもデビューはデビューだ。これからは祐佳里とほか四人のメンバーは音楽で食っていくことになる。そのため、「売れる音楽」に走ってしまうのが嫌でデビューすることを嘆くヤツもいる。でもデビューしても「デトネーション」の音はおそらく変わらないだろう。あのライヴハウスでの熱量を肌で感じたことのあるヤツなら、たとえ音楽事務所のプロデューサーであってもそう簡単に変えることはしないだろうと俺は思った。
「祐佳里はなんていうかさ、ホラ、どこか危ういとこがあるだろ。自分のことはどうでもいいというか、他人のことしか考えてないというかさ。メンバーとはうまくやれているみたいだけど、自分の普段の生活のこととか……、あまり話してはくれないんだ。気持ちや感情は伝えてくれるんだけどさ。だから、余計に心配になっちゃうんだよな。過保護にしすぎるのもどうかなーとは思ってるんだけど……、まあ、ついつい熱くなっちゃうんだ。だから、その、この間はホントに悪かったよ」
 俺は麻理衣とたまたま部室で二人きりになり、なんとなく会話していた。
「もう気にしてませんから、そんなに何度も謝らないでください。それよりも、『デトネーション』、もうほぼデビュー確定らしいじゃないですか。よかったですよね」
「ああ、自分のことのようにうれしいな。祐佳里は昔から歌手になるのが夢だったって言ってた。形は違うけど、ようやく夢が叶うんだ。祐佳里自身だってすごくうれしいはずだよ」
 叶えたいと思う夢。祐佳里はそれに向かってひたむきに走っていたから、自分の声が以前とは違うものになっても諦めなかった。
 では、俺はどうだろうか。諦めきれない夢を持っているのだろうか。そう言われてみると、ない。将来の目標があやふやなまま生きている。
 でも大学一年生なんてみんなこんなもんだろうと俺は思った。高校を卒業してすぐに就職するほど社会に出たいわけでもなく、なんとなく今の時代大学は出ておいたほうがいいと親や教師から散々言われてきたため、学歴社会が終わった世の中であっても「大卒」というステイタスは未だに強いとするのが世の風潮だった。
 ちゃんと明確な目標があって大学に進学した人ももちろんいるのだろうが、大多数の人は俺と同じモラトリアム人間に違いない。いくら就職大氷河期とはいっても、就活を始めるのは三年生から。今は夏から秋口にかけてスタートしているようだが、今後は十二月以降になるという。でもそんなことを考えるのはまだまだ先だと言って目下やらなければならないことを先延ばしにし続け、ぬるま湯に浸かりきったような腑抜けた人間になるのも怖いような気がした。
「んじゃあ、アタシは授業あっから帰るぞー」
「あ、はい」
「登録までもう少し待ってくれなー」
 俺と麻理衣は二人して部室から出た。新メンバーがサークルに登録され、学生証で部室の開閉ができるのは六月になってからだ。それまでは中に誰か先輩がいなければ出入りすることはできないが、このサークルは人数が少ないながらも大抵は、特に昼時はほぼ毎日誰かが常駐してくれていた。
 麻理衣とはこうしてすっかり打ち解けあい、気軽に話せるようにもなった。俺はこのあと授業はなかったから、部室棟を出ると麻理衣と別れた。そのままバイト先に向かう。
 俺のバイト先はごくごく普通のコンビニエンスストア。つくづく自分の平凡さに嫌気が差しながらも、この平凡さが逆にありがたく感じるときもあった。しかし、それでも自分の意志の弱さがどうしても体に貼りついて剥がれない。やろうやろうと思っていても、ずるずると時間が過ぎていってしまうのだ。
 バイト代を貯めて、ギターかベースでも買おうかなぁ……。でも部屋の置物になっちゃったらやだなぁ……、とも考えてしまう。結局のところ俺は、自分で自分にあれこれと言い訳をつけて、やる気の放出を自ら内に閉じ込めてしまっているだけなのかもしれない。
「その場主義とでも言うのかなぁ……。手話サークルに入っちゃったのだって、半ば成り行きだったし……。あーあ、なんか、流されてばっかの人生だなぁ。これから先、どうなっちゃうんだろうな……」
 ひとり言を漏らしつつ、俺はバイトを無感情にこなして、五時間後に再び外に出る。この一連の流れさえ日常に組み込まれてしまった。流れが止まることもなければ、ましてや自分から流れに逆らって生きていけるほど、やっぱり俺の意志は強くなかった。
 六畳一間の木造アパートも、繁華街からすこし外れたコンビニも、いつか殴られた左頬の消えたアザも、オーナーの方針で誰ももらえないゴミ袋に捨てられるだけの廃棄弁当も、みんなみんな、他愛のない日常の一部。誰かが上の階で熱唱している。誰かが通りで酔っ払って大声で騒いでいる。カラオケ屋や居酒屋の呼びこみ、走る車の音、自転車の油の差していないブレーキのキーキーいう音……。どんな空虚にも必ずなにかがある。田舎から出てきて、ひとり暮らしを始めて一週間。これが東京、これが大学生活……。そう、やりたいことはこれから探していけばいい。時間はいくらでもあるのだ。少なくとも俺は今、ひとりではなかった。
 まだ慣れない自炊をし、食事を終えて食器を洗っているときいきなりケータイがけたたましく鳴った。夜の十時半、こんな時間に誰だろうか。俺は急いで手を拭いてケータイを耳に当てた。聞こえてきたのは、知らない男の声だった。
「よー、お前ー、望月……で合ってるか。オレの弟たちが、世話になったそうだなー」
 弟たち……。電話の相手は小駒と玉菜が言っていた「もっと怖い先輩」だろうか。間延びした拍子の気だるい声は続く。
「あの浅見ってヤツなー、なんか徒党を組んで、校内パトロールみてーなこと始めやがったんだよ。おかげでこっちは、商売あがったりだ。どうしてくれる。オレは『メイク・オア・ブレイク』のヤツらに、金を集めさせてたんだがな、その浅見ってヤツのせいで思うように金が集まらねーらしいんだよ。参っちまうだろ? なあ、あいつ、高校の頃、バリバリの風紀委員とか、そんな感じだったんじゃねーか? ハハハ」
 凄んだり笑ったり。得体のしれない話し相手だった。
「あんたは誰だ。それに、こんな時間になんの用なんだ」
「まあ、そんな話はどーでもいーんだ。そーいうわけで、お前たちに慰謝料の請求をしてーんだよ。そーだなー……、五百万」
「は?」
「ひとり頭五百万だ。そっちのサークルは、あと三人……、いるんだろ? お前を含めて四人、合計二千万だ。まあオレはもう大学は中退したから、あのサークルとは無関係なんだけどよ、やっぱ使えるものは、最後まで使ってやらないとな」
 どういうことだ。あと三人……? ウチのサークルは俺、祐佳里、麻理衣、椒、蓮華の五人だった。計算が違うような気がするが……。
「おっと、逃げよーったって無駄だ。こっちはな、ヒトジチってやつをとってあるんだ。お前の大大大好きなバンドのボーカルちゃんだ。誰だか、分かるかな」
「まさか」
「そう、そのまさかだ。オレとあいつは音楽性の違いってやつで決別した。オレたちはデスメタルがやりたい。でもあいつは、それよりもライトなフツーのメタルがやりたいそーだ。デビューするにあたって、まだそっちのほうが受け入れられやすいとか、生意気に吐かすんだよな。なに言ってやがんだって話だよなー、こっちはあいつのデス声を、思いっきり活かしてやろーとしてんのにさー。しかもそれは事務所のヤツも言ってるっていうんだよ。知ったこっちゃねーよなー、お前ら、今までオレたちのなにを聴いてきたんだってカンジだよ。フザケてるよな。お前も、そう思うだろ? な?」
 堰を切ったようにあふれ出す不満の声は全然耳に入らなかった。こいつは今、祐佳里を人質にとっていて、二千万円持ってこいと言っている。祐佳里はどこかに監禁されているのだろうか。俺は気が急いた。
「祐佳里さんは今どこにいるんだ」
「おー? 声が聞きたいか? なに、ヒトジチと言ってもな、別に殺そーってわけじゃねーんだ。ただ、オレたちの慰みものになってもらおーと思ってな。どれ」
 そういうとドアを開ける音がした。相手の男は移動しているようだった。
「ホレ、思う存分聞くといい」
 ケータイからは誰かがガムテープで口を塞がれたように「んーっ、んーっ」という声が聞こえた。椅子ががたがた動く音と、鼻で笑い合う音。向こう側で誰かがガムテープを取ったようだ。ベリッという音がした。そして大きく口で呼吸する音が聞こえ、
「タスケテ……」
 と、か細いながらもひどい風邪をひいたときのような声が聞こえた。喉にケガをして、以前の声を失ってしまった女の子。二度のライヴで聴いた、冥府から轟くデスボイス。
 祐佳里の声に違いなかった。その声を聞いて俺はすっかり青ざめてしまった。ぶわっと冷や汗が流れ出て、ケータイを落としそうになる。電波の向こう側では誰かがまたガムテープを口に貼ったようだ。再び「んーっ、んーっ」という声になる。
「んじゃー、よろしくな。金は三日で用意しろ。受け取り場所や方法は、三日後に改めて連絡する。こいつ、オレが二、三回腹にパンチくれてやってもまだ落ちねーんだ。なかなかしぶとそーだから、じっくり楽しませてもらうぜ。もしケーサツなんかにチクったら、恥ずかしい写真や動画を、こいつの親や学校をはじめ、ネット中にばら撒くから、お前、覚悟しとけよ。金はそーだな、学生ローンや消費者金融なんかを、いくつか当たればかき集められるんじゃないか。奨学金をつぎ込むってのもアリだな。そっちの事情は知ったこっちゃねーけど、楽しみにしてる。それじゃーな」
 おそらくニヤニヤと嫌な笑いを浮かべながら話していたのだろう、耳の底にはべったりとした不快感がこびりついていた。俺は通話の切れたケータイをぶらさげたまま、その場で立ち尽くすしかなかった。
 
 

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