ハイブリッド・サムデイ


     6


 玉菜から聞いた上島がいるという場所は、少し意外ではあったがよく考えてみれば正当性のある場所だった。
「蓮華、ヤツはどこにいるって?」
 合流した麻理衣が問う。蓮華は走りながら答えた。
「祐佳里のバンドが所属する予定だった音楽事務所だって。駅の反対側の通りにあるみたい」
 俺たちは走りながら駅の反対側へ行くために地下道を抜け、玉菜が吐いた上島の居場所へと向かった。蓮華は玉菜の腕を捻って逃げられないようにしながら案内役にさせている。実動部隊の中からは輝一だけがこちらに向かってきているという。麻理衣の友人三人はなにかあったときのために待機させているとのことだった。蓮華が玉菜を拘束させながら走っているため全力疾走とはいかないが、できうる限りの速さでその音楽事務所へと向かった。
 街路樹が整然と並んだ通りの一角、真新しい白いオフィスビルの四階にその事務所はあった。エレベーターなど使っていられないので一気に階段を駆け昇る。窓から俺たちが入っていくところを見られたかもしれないが、そこは蓮華の「なんとかする」という言葉を信じるしかなかった。
 事務所の扉は曇りガラスの開き戸だった。目線の高さに事務所名のプレートがついている。「LONG DREAM」、長い夢。
「あ、あのっ! 上島さん、玉菜です。ちょ、ちょっと困ったことになって……。その、中に入れてください」
 蓮華が玉菜を促してそう言わせた。これで扉を開けてくれれば一気に制圧できるが、さすがにそううまく話は進まなかった。というよりも、ガラス扉の向こう側からはなんの反応もなかった。蓮華が玉菜の手の甲を思いきりつねる。
「うっ、上島さんっ! 入れてください!」
 それでも反応はない。確かに「困ったこと」には変りないのだが、上島というヤツは部下のピンチはどうでもいいと思っているらしい。
 俺たちは上島のリアクションを待ちあぐんでいたが、麻理衣は待ちきれなくなったようだった。
「はあ、なんも反応がないんだったら、強行突破しかないね。みんな下がってな。行くぜ!」
 そう言うと、回し蹴りのように大きく体を回転させ、ガラス扉に蹴り技を放った。ガシャアン! というガラスが割れるけたたましい音がして、固いガラス扉は映画のアクションシーンなんかで使われる飴細工のガラス窓のように、見事粉々に砕け散った。
 麻理衣が先陣を切って、俺たちは中になだれ込む。事務所の窓はすべてブラインドが降りていて、日も入っていないためか薄暗かった。その薄暗い事務所の一角で動く人影があった。
「祐佳里!」
「ハハハ、こいつは愉快だな。まさか、扉を蹴破って入ってくるとはな。お前が、例の風紀委員長、浅見ってヤツか?」
 暗がりから出てきた人影は上島だった。耳にこびりつくように不快なこの間延びした気だるい声は忘れようと思っても忘れられなかった。
「祐佳里はどこだ!」
「そーカッカするなって。そこにいるだろ? 冷静になって、よく見てみな」
 目を凝らすといくつかのパーティションを隔てた先に祐佳里がいた。椅子に縛りつけられ、口にガムテープを貼られている。椒と俺が急いで解放しにかかった。パソコンの電源ケーブルかなにかでぐるぐる巻きにされた手首を外し、ガムテープを外した。祐佳里は苦しそうに、大きく深呼吸をした。
 俺たちが祐佳里を助けたにもかかわらず、上島は身動きひとつ取ろうとはしなかった。麻理衣はそんな上島を睨みつけたまま、いつ飛びかかろうかと隙を窺っているようだった。
「ついでにこいつらも縛りつけておいたんだけどよー、銀行の口座の暗証番号をゼンッゼン教えてくんねーんだよー。通帳は見つけたんだけどな、暗証番号がわからなけりゃ金下ろせねーじゃねーか、なあ?」
 上島はそういうと近くに転がっていた黒い二つの塊のうち、片方を蹴り飛ばした。見るとそれはスーツを着た小柄な男だった。おそらくここの事務所の社員なのだろう。もう一方の黒い塊も、スーツを着た痩せ細った男性だった。
「おら、さっさと吐け!」
 上島はそう言うと二人をでたらめに蹴りつけ始めた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「けっ、情けねーなー。もう少し、抵抗したらどうだ」
「テメェ、ふざけんじゃねえ!」
 その様子を見ていた麻理衣が上島に飛びかかった。頭に血が上ってしまったのだろう、喧嘩のからきし弱い俺でも、そのタイミングでは失敗だと思った。
 上島はギラリと麻理衣を鋭く睨みつけると、その場から消えた……ように見えた。いつの間にか上島は麻理衣のみぞおちに拳を吸い込ませていた。一瞬のうちに、懐まで距離を詰めたというのだろうか。竜巻どころではない。その速さは流れ星のように一瞬だった。
「くそ……っ、油断した……」
 そう言うと麻理衣は膝から崩れ落ちた。俺は不意にデジャ・ビュに襲われていた。前に一度、そんなパンチをどこかで見たことがあった。
「オレはなー、ガキの頃からボクシングをやってんだ。親父から、叩き込まれてな。そこの玉菜に教えてやったのも、オレなんだよ。ただなー、オレは他人になにかを教えるのがあんまりうまくなくて、できそこないのパンチしか教えられてねーんだ。ハハハ、でも、素人のパンチよりはマシだろーからな。少しは、役に立ってるかもな。まー、どうでもいいが」
 そうだ、あの部室棟の喫煙所で玉菜が俺に放った一撃だった。あのときのパンチも随分重かったが、こちらは本家バージョン、麻理衣を一発で戦闘不能にするほどのものというわけか。
「そんな親父はな、音楽の趣味が偏ってたんだ。HR/HMばかり聴いていて、オレもよく聴かされた。海外のクラシックロックばかり聴いていたからだろうな、オレがメタラーになるのにそう多くの時間はかからなかった」
 上島はそばにあった椅子にどかりと腰掛けると話を続ける。
「それがなんだ、こいつと事務所の連中が結託しやがって、オレを説得しにかかりやがった。オレの夢が叶う直前でだぞ。ありえねーだろ。こいつらの聴く音楽の趣味なんざ、どーでもいーんだ。オレには待ってくれてるヤツらがいる。オレたちのライヴを観たことがあるんだったら、それがわかるだろ? なあ、どーしてオレたちの、オレの好きにやらせてくれない」
 もっともな意見だった。俺も「デトネーション」のライヴを観て、あの熱気に胸を高鳴らせたうちのひとりだった。でもそれは、もしかしたらわがままなのかもしれない。今の世の中、誰でも自分の思い通りに活動できる人などそういないのだから。
「上島、お前、いいかげんにしろよ!」
 俺たちの後ろから知らない男の声が聞こえた。おそらく彼は輝一だろう、長い黒髪を後ろで束ねている。
「誰かと思えば、負け犬の浜梨くんじゃないか。自分の彼女を自分で助けられずに、こんな連中に協力してもらうなんてな」
「……なあ上島、俺たちはなにもかも自分たちの都合通り、自由に世の中を動かせるわけじゃないんだ。多少の妥協だって必要になってくる。そのことを事務所の方たちから伝えたくなかったから、祐佳里から話してもらったんだ。そしたら逆ギレしてこんなことまでする。負け犬は一体どっちだ。少しは冷静になれよ。デビューして、自分たちの音楽を売り物にするっていうのはそういうことなんだぞ。聞き手がいなくちゃ音楽は存在意義を失ってしまう。聞き手を大事にしてこそのデビューだ、聞き手の耳を尊重してこその路線変更は必ずしも衰退じゃない。頼むから、それをわかってくれ」
 ガン! というなにかを叩く音がした。どうやら上島が近くの机を叩いたようだった。
「うるっせーな、んなことどーでもいーんだよ。聞き手を大事にする? ハッ、なに寝言吐かしてやがる。オレたちの音楽はな、わかるヤツらにだけわかってもらえればいーんだよ。そんな不特定多数の大衆のことなんか、ちまちま気にしてられっか。見ろよ、今の日本の音楽業界を。テレビをつければどーでもいーよーなモンばっか垂れ流されてくる。あんなうじゃうじゃと出来損ないを何人も寄せ集めたよーなアイドルソングや、うしろでバカみたいに同じダンスを踊らせてるユニットの滑稽さ、芸人とか声優とかが歌う不良品の大量生産みてーな下手クソな歌……。なあ、日本の音楽は、一体全体どーなっちまったってんだよなあ。こんな時代に、まともな耳を持った聞き手がいるはずがねーだろうが。オレは金を集めて、海外に行く。そーだな、アメリカか、北欧、ロシアなんかもいーな。まー、それはおいおい決めるとして、お前ら……」
 上島はゆっくりと立ち上がると話を続けた。
「金は用意してる……ワケねーか。だったら、体で払ってもらうしかねーな。女が三人もいりゃー、いろんなシチュエーションのファイルを売りさばけそうだからな」
「どういうこと?」
 いまだ玉菜を後ろ手に押さえつけている蓮華がきいた。
「どーも、こーも、ねーよ。お前らとヤッてるシーンを写真やビデオに撮って、ネットで売り捌くってわけだ。ばら撒くっていうのは、つまりそういうことだ。もちろん、あいつの親や学校には無料で送ってやるつもりだったけどな、ハハハ」
「テメェ、ふざけんじゃねえ……」
「おっと、メス豚がなにを喚こうが無駄だぜ」
 そう言うと上島は麻理衣の腹を蹴り飛ばした。さっき殴ったみぞおちの辺りをピンポイントで狙っていた。
 その様子を見て、俺は体が熱くなった。拳を固く握り締め、全身が小刻みに震えだした。許せない。こんなゲス野郎がすることを、なにもできずに見ていることなどできなかった。
「おい! 望月、やめろ!」
 椒が後ろで叫んだが、そんなことはもうどうでもよかった。俺は気がつくと全速力で上島目掛けて突っ込んでいた。意味不明の雄叫びを上げ、拳を耳の後ろに構えながら。相手にとっては見え見えのテレフォンパンチだったろう、それでも俺は上島を殴らずにはいられなかった。
 結果は火を見るよりも明らかで、俺は簡単にぶっ飛ばされてしまった。幸いにも気絶はしなかったものの、全身が痛みで悲鳴を上げていた。
「威勢のいいのは悪くない。ただ、ザコがいくら束になったって、無駄だってことだ」
 悔しかった。なにもできない自分が、なによりも悔しかった。たぶん蓮華でさえもこいつには敵わないかもしれない。それほどの強敵だった。俺は今度は無力な自分を許せなくなっていた。
 なんとかしなくちゃ……。俺は全身の気力を振り絞って立ち上がろうとしたが、体はまるで言うことを聞かない。もうダメなのか……そう思ったときだった。
「全員、動くな!」
 事務所の入口を見やると、ダークブルーのパンツスーツに身を包んだ女性が拳銃を構えていた。後ろには男が二人控えている。
「なんだー、お前ら? ケーサツか? ハハハ、お前ら、サツにチクったのか。結局のところ、ファイルはばら撒くっつー結果になったな」
 上島はそういうと戦闘態勢をとった。さっきの流星のようなパンチが再び来る。
「蒼実さん、危ない!」
 蓮華が叫んだが、蒼実と呼ばれた女性は冷静に対処した。蓮華の言葉を聞くよりも前にまず一発、上島の足元に発砲したのだ。パアン! という銃声が白昼に響いた。その一発で、上島の動きは止まった。
「手をあげて、おとなしくしなさい」
「チ……。ずりーよなー、サツはよー。そんな武器を持てるんだからさー。なー、オレにもくれよ」
 再びパアン! という銃声が響く。今度は上島の顔の横を通りぬけ、事務所の壁面に銃弾がめり込まれた。ちょっと手元が狂えば目玉が撃ち抜かれていたであろう。銃を構えた女性の照準精度はものすごく高かった。
「手をあげなさい。次は当てます」
「わーったよ、手をあげりゃーいいんだろ。ホラ」
 女性刑事は手錠を取り出し、上島の手にかけた。バックアップがうまく機能してくれたというわけか。これで事件は終結した。俺の口からは自然と安堵の溜息が漏れた。
 
 
「オレはずっと、ミュージシャンになりたかったんだ。親父の音楽の趣味が、やっぱり一番に影響してたんだろーな。でも、もしかしたら、オレの夢はミュージシャンになることなんかじゃなかったのかもな。よくよく考えてみれば、オレには音楽のことやバンドのこと、そういった自分の趣味を語れる仲間がまったくいなかった……。そうか……。今、わかったよ。オレの夢は、本当は、親父の趣味とか、事務所の方針とかじゃなくて、ただ純粋に、素のままで、自分の好きな音楽を語れる仲間がほしかった。それだけだったのかもしれねーな……」
 上島は最後にそう言うと、男性刑事二人に連行されて行った。今までの威勢のよさはどこへやら、事務所を出て行くときの上島の背中は、なんとも寂しそうな背中だった。その背中にひき続いて、玉菜も連れて行かれた。上島は塀の中へ入れられるかもしれないが、玉菜は従犯ということなので、小駒と併せて罪は上島よりは軽くなるだろう。警察は小駒と、それに逃げたベースとドラムの行方も追うことになるようだった。
「よかったです、みなさんがご無事で」
「蒼実さん、ギリだったねー。あとちょっと遅かったらダメだったかも」
「蓮華さんの言うことなら、相当強い方だったんでしょうね。踏み込むタイミングが遅れちゃったのは、隙を見計らってたからなんです。ええと、彼のおかげで、隙を狙うことができました」
 女性刑事はそう言うと、俺のほうを見た。
「ああ、モッチーが飛び込んだときね」
「ええと、そのモッチーさん……」
「望月です」
 俺は自分の名を名乗った。
「望月さん、あなたが犯人に飛びかかってくれたおかげで、相手に一瞬隙ができたんです。感謝します」
「いえ、そんな――」
「モッチーは犯人の居場所を見つけ出す手がかりも作ってくれたんだ。モッチー、ナイスだよ」
「そうだったんですか。それはお手柄でしたね」
 事件解決は俺のお手柄か。そう言われると悪い気はしないが、その代償として体中が鈍く痛んだままだった。
「あのー、刑事さんですよね? 蓮華先輩とはどういう関係なんですか」
 椒が疑問を投げかける。それは俺も少し気になっていた。
「ああ、自己紹介が遅れました。椚蒼実といいます。警視庁で刑事をやっています。週に数回、蓮華さんの道場に通わさせていただいているんです」
「蒼実さんとは私が小さい頃からの知り合いなんだー。ずっとうちの道場に通ってくれてる。ま、私のほうが強いけどね」
「それを言わないでくださいよー」
 椚と名乗った女性刑事は蓮華が幼い頃から道場に通っている。とすれば、麻理衣とも親しいのだろうか。想像通り、麻理衣も親しげに彼女に話しかけてきた。
「いやー、蒼実さんが来てくれて助かりましたよ。でも蓮華の提案した作戦はあんまり意味なかったな。あいつ結局ファイルを用意してなかったみたいだし」
 蓮華の提案した作戦とは、警察を使って犯人のアジトのインターネット回線を切断し、陸の孤島にしてしまうという作戦だった。しかしながら麻理衣の言う通り、その作戦は結局直接的な効果が働かなかったものの、俺たちは安心してアジトに踏み込むことができたというわけだ。最後に上島を逮捕することもできたし、意味は大きかったと俺は思う。
「麻理衣さん、お体のほうは……」
 椚刑事が心配そうな顔をして麻理衣に声をかけた。
「あー、大丈夫大丈夫」
 麻理衣は壁にもたれながら苦しそうに喋っている。とても大丈夫そうには見えなかった。
「一応もう一台パトカーを手配しましたので、それで病院へ――」
「いいよいいよ、大丈夫だから」
「ダメです。もし万が一のことがあったらどうするんですか。お腹を思いっきり殴られてるんですよ。もしなにかあったら――」
 椚刑事はひどく心配そうな顔で麻理衣を見つめた。その表情を見て、麻理衣も折れたようだった。
「……わかったよ、行きますって。だからそんな顔しないでください」
 するとちょうどいいタイミングで制服を着た男性警官が現れた。
「椚刑事、パトカーの準備できました」
「わかりました。ではこの二人を近場の病院まで送り届けてください。ご両親への連絡もお願いいたします」
 そう言うと椚刑事は手帳に麻理衣の家の電話番号を書き記し、切り取って男性警官に渡した。そして一度振り返り、俺のほうを見て言った。
「望月さん、あなたの家の電話番号はあとで彼に教えてあげてくださいね」
 俺はうなずいた。麻理衣は椚刑事の肩を、俺は男性警官の肩をそれぞれ貸してもらい、苦労しながらもパトカーに乗り込んだ。
「それではよろしくお願いします」
 椚刑事は敬礼をとり、男性警官も敬礼を返すと、パトカーは病院へと向かった。
 事件後中一日空いて、俺たちは取り調べを受けることになった。全員一緒ではなく、それぞれ時間をずらされての取り調べだった。もちろん大学の授業は公欠扱いになった。
 俺はその取り調べのときに再び椚刑事に会った。休憩所で缶コーヒーをおごってもらう。お礼を言って、並んでベンチに座った。俺は以前から気になっていることがあったのできいてみることにした。本人に直接きくのはなんだか気恥ずかしかったし、「手話さあくるHAND CLAPPING」では過去の詮索を嫌うところもあったからだ。椚刑事なら知ってると思ったのも理由のひとつだ。
「あの、ききたいことがあるんですけど、いいですか」
「ええ、なんでしょう」
「あの、夕張先輩のことなんですけど、夕張先輩はどうして合気道をやりながら手話もやってるんでしょうか」
 椚刑事は一瞬ためらった。でも、すぐに口を開いてくれた。
「蓮華さんのプライベートに関することですが、まあいいでしょう。それはですね、蓮華さんのお父様、今の道場の師範代ですが、耳が聞こえないんです」
「えっ」
「だから蓮華さんは幼い頃から手話もできたし、それに道場にはお父様の友人で耳の聞こえない方々も何人か通われていました。だから蓮華さんは大学では手話サークルに入ったんじゃないでしょうか。もちろん道場では稽古を続けていますけどね」
 知らなかった。障がい者というともっと遠い人たちかと思っていたけど、意外とこんなにも身近なところにいるものなのだ。そして普通の人たちと同じように合気道を嗜んでもいるのだ。
「障がい者の方々にとっても合気道は護身術になりますから、蓮華さんのお父様はそういう呼びかけもなさっているそうです。それに、聞いたことありませんか? 合気道はリハビリに効果があるって」
「えっ、そうなんですか」
「もちろん確証は出ていませんが……。そういう合気道教室もあるんですよ。蓮華さんはそういったいろんな話に耳を傾けていますね。彼女の中では、合気道と手話は密接に結びついてると思いますよ」
 俺は最初蓮華の家は合気道の道場で、だけど大学では手話サークルの幹事長という立場に対して、それが少し突飛なものに感じていた。でも椚刑事から聞かされた話で、今までの疑問が見事に解消された。俺は礼を言って立ち上がろうとすると、誰かが休憩室に入ってきた。
「こらー! 蒼実さん、今私の昔話してたでしょ!」
 蓮華だった。どうやら俺のあとに取り調べを受けたようで、それが終わってこの休憩室に来たようだった。
「なんか、モッチーに恥ずかしいこと聞かれちゃったかなあ」
「そんなことないですよ。すごい立派なことじゃないですか。尊敬しますよ」
「ホント? まあ、そう言ってくれるとありがたいんだけどさ」
 俺の気持ちは本心だった。でも、世間一般からしてみれば障がい者というのはやっぱり受け入れがたい存在なのかもしれない。蓮華がこうして恥ずかしがるのも、単に自分の昔話をされたからだけではないようにも思えた。
 俺はそのあとバイトがあったので、椚刑事と蓮華に挨拶をして警察署をあとにした。バイト先では事件のことについて根掘り葉掘り聞かれた。大学の授業でクラスメイトにも聞かれるし、親や中学・高校時代の友人からも電話がひっきりなしにかかってくる始末。どこから俺が事件に関わったと聞いてくるのか実に不思議だったが、悪事千里を走ると言うし、それも仕方ないのだろう。まあ、俺自身はなにひとつ悪事を働いてはいないのだけど。
 祐佳里のバンド「デトネーション」は当然デビューが中止になった。リードギターが逮捕されてしまっては、バンドとして新メンバーを加入させた上でのデビューも難しいという。犯罪者出身のバンドと聞けば、そういう「悪」がかっこいいと思う連中がこぞって加入の応募をしてきそうなものだが、まあ祐佳里や輝一のことを考えれば解散させるのが妥当だった。
 祐佳里の夢は絶たれてしまったのだろうか。みんなが部室に集まったときに、なんとなく夢の話になった。
 蓮華の夢はソーシャルワーカーになって親父さんだけでなく、他の多くの耳が聞こえない人を援助していきたいという。麻理衣の夢は警察官。椚刑事に最近憧れ始めて、公務員の教養試験の勉強も始めたそうだ。椒の夢はNPO団体に入り、世界中で支援活動をすること。みんな大きな夢を持っている。でも俺にはまだ、目指す夢を見つけられていない。
 祐佳里はこれから音楽活動は諦めて普通の女の子として生きていくか、それとも落ち着いたあとで再びデスメタルバンドを組んで再挑戦を図るか、選択しなければならなかった。もちろんまだ事件の傷痕は深く残っている。決めるのはずっと先でいいはずなのに、祐佳里の心はもう決まっているようだった。
 俺もようやく手話で会話できるようになった。でも、まだ細かいところは覚えきれていない。祐佳里の手の動きは、なんとかかろうじて理解することができた。
《あたしは、その中間を取ることにしたよ。普通に生きていきながらも、音楽は続けたい。デビューを目指すんじゃなくて、単純に楽しみながらやりたい。彼と二人でユニットを組んで、二人だけでやっていきたい。ドラムやベースやキーボードは、打ち込みやシーケンサでもできるし。その辺も勉強していかなきゃね》
 祐佳里は最後に左手でヘッドホンを模して耳に当て、右手で円盤をスクラッチするような動きを見せた。祐佳里はいつか見せたようなはにかみ笑いをして、なんとも楽しそうな様子だった。
《本当は、昔はこの声に悩んでもいたの。でも、歌手になりたいという夢は諦めきれなくて、この声を活かせる道があることを知って、ちょっと無理しちゃったのかもしれないな。だからプロの歌手になることはもう遠慮するけど、歌は歌い続けていきたいんだ》
 祐佳里も事故による声の変容という大きな悩みを乗り越えて、こうして笑顔も取り戻せている。祐佳里の悩みに俺たちはどうすることもできないけど、部室で楽しく語り合うことはできる。悩みや将来的な問題の解決には直接関われはしないけど、それでいいんだよなと俺は思った。
 どちらか二つの選択を迫られたときに、その二つの選択肢のどちらをも混合させた、新たな第三の選択肢を作り出す。未来のいつか、自分が立っている場所を夢想して。そんな祐佳里を見ていたら、なんだか俺にも夢が見つけられそうな気がしてきた。でもそれは今すぐにじゃない。この大学四年間で、それをじっくりと選別して、宝石をカットしていくように見つけ出していくのだ。
 だって未来へと続く道はひとつだけじゃない。俺の目の前には、数多くの道が拡がっている。しかもそのうちのどれかひとつだけを選択しなければいけないわけではないのだ。
 俺たちは、無限の可能性を持っているのだから。
 
 

Thank you for reading.
2011.05.29


テーマソング:石元丈晴「Detonation」、「Hybrid」、「Long Dream」、「Make or Break」、「Someday」、「Three Minutes Clapping」
from 『すばらしきこのせかい』 (C)2007 SQUARE ENIX










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