水溜りのホップロック


   06

 都会をすべて飲みつくした水は相も変わらずビル間を揺蕩い、わたしと世界を分け隔てる。いつの間にみんなあんなに遠いところへ行ってしまったんだろう。
 水の中でどうやって息をしているんだろう。車や電車はどんな仕組みで動いているのだろう。電化製品は壊れないのだろうか。コンセントはどうなってるんだろう。食べ物は、本は、服は、ケータイは、学校の授業は……どうなってしまっているんだろう。
 考え出すときりがない。彼らは彼らなりに適応してやっているのだ。わたしたちは社会に適応できなかったから、学校に適応できなかったから、人間関係に適応できなかったから、家族に適応できなかったから、こうしてビルの屋上なんかにいるのだ。
 この街じゅうを探せば他にもわたしたちみたいな存在がいるかもしれないが、探す術もないし、会うこともできない。会ったところで互いを受け入れることなどできるわけもない。こんな風に陸の孤島に取り残されているのは、そもそも他者とうまくコミュニケーションをとれなかったからではないか。わたしにはエンというパートナーがいるだけまだましだった。
 エンはどうやってお金を稼いでいるのだろう。エンはどうやって食べ物や飲み物を手に入れてくるのだろう。このビルはもう廃墟となっていて出入りする人間などいないのに、五階まで水に浸かっているというのに、エンはどうやって外界と接触をとっているんだろうか。
 わたしはエンのことを実は何も知らない。違う学校だけれど同じ県立高校の一年生で、何らかの理由で学校へは行っていないということぐらいだろうか。きっとエンもわたしについてはそれぐらいしか知らないだろう。わたしたちは互いを理解しあうのに、生い立ちや肩書きや属性など知る必要はないのだ。
 屋上の柵にもたれかかり、ぼんやりと眼下の水中を眺める。水の中には確かに人の営みが存在する。水中都市。しかしきらびやかな竜宮城とは正反対に、その水は相変わらずどこか澱んでいる。
 往来を行き来する人々を眺める。地に足をつけて、地上にいるかのように海底を歩いている。泳いではいないし、酸素ボンベも着けてはいない。一体全体ふしぎである。
 ふとその中に見覚えのある姿を見たような気がした。まさか、エンではなかろうか。じっと見ていると、建物と建物の間の路地裏に入っていった。普通に道を歩いていればまったく目立たない、気がつかない場所だが、ここからは一目瞭然だった。わたしの視力がいいというのもある。水の中でも、普通にエンの様子がわかった。
 エンは誰かと会っていた。誰だかはわからない。さすがにここからでは、エンの風貌はわかっても見知らぬ人間の顔をはっきりと認識することはできなかった。エンはその人と何かを交換し合ったようだった。
 エンはその足でコンビニに入り、買い物をして出てくるとわたしのいるビルに戻ってきた。なんということはない、エンはやっぱり社会に適応していて、取り残されていたのはわたしだけだったのだ。エンも同じ旧世界の人だと思っていたのに、何だか裏切られた気分だった。
 そして事実、わたしはエンに騙されていたのだ。
 エンは自由に街を歩けるのに、こんな場所にいる必要はない。わたしとエンの見える世界は違っているのだ。エンの先ほどの路地裏でのやりとりと、ハイアンドローの浮き沈みの激しい気分、そしてさらにわたしは、以前のわたしの記憶を少しだけ思い出していた。
 吐き気を伴うフラッシュバックが、わたしのからだを突き抜けた。
 
 
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