水溜りのホップロック


   07

 ひとりでいることに抵抗はなかった。
 いくら嫌われていても構わなかった。
 誰かの救いの手なんて必要なかった。
 空っぽのままでもつらくはなかった。
 でも――、やっぱり心の空虚感を埋めてくれる誰か、何かがほしかった。温かい手の温もりと、温かい充足感。それは誰だってよかった。何だってよかった。ただの慰めでもよかった。たとえそれが、わたし自身を壊してしまうようなものであっても――。
 わたしはエンが今日買ってきた食べ物、飲み物に一切手をつけなかった。エンに対して不信感を抱いてしまったし、何よりも怖かった。何か混ぜられているのではないか、何か変なものでも入っているのではないか。疑心暗鬼に駆られ、食欲もまるで失せた。
 エンはこの水没した都市を、泳いでどこへでも行けると思っていた。でも違ったのだ。エンは楽々と水没都市の一市民となり、泳ぐのではなく、その他大勢の人たちと同じように水底を歩いて生活しているのだ。つまり、エンとわたしは同じ立場の人間ではなくなってしまったというわけだ。いや、始めからそうだったのかもしれない。世界から取り残された旧時代の人間は、わたしだけだったのだ。
「なぁ、スイリ、少しは食べないと」
「エン、正直に言って」エンが言い終わらないうちに言葉がついて出た。「エンは、わたしに嘘をついてる?」
 エンは持ち上げかけたコンビニのおにぎりを置くと、どこか後ろめたそうな、罪悪感を抱いているような顔をした。やっぱり、エンはわたしを騙していたんだ……。わたしはそう確信した。
「嘘なんてついてないよ」
「嘘。わたし見たよ、エンが街を歩いてるとこ」
 エンは一瞬黙った。「……この屋上から? きっとよく似た誰かだよ。ほら、世の中には自分と似た奴が二人か三人ぐらいはいるって話よく聞くじゃん。スイリの見たその誰かは、たぶんおれじゃないよ」
 エンは水のことを持ち出さなかった。わたしは目が悪くはない。屋上から人の姿や顔を捉えることは十分に可能だ。でも、水があると話は変わってくる。光の関係で、底が見えづらくなるからだ。それも、人々の不幸でどこか澱んでいるような、透き通って澄んでいるとは言えない水の中だ。わたしが見たエンは、別人だったのだろうか。
 不思議な気持ちだった。わたしが見たのはエン。その確信が心を支配していた。エンはわたしを騙して、あたかも同じ世界の住人であるかのようにわたしの心を弄び、食べ物や飲み物を与えてペットのように飼い慣らしていただけなのだ。なぜだろう。なぜ、わたしはこんなにもエンに対する不信感をむき出しにしているのだろう。どこか遠く上のほうの虚空から、わたしはわたし自身を客観的かつ冷静に眺めるとともに、心の中では煮えたぎるような怒りと不安と懐疑とが一緒くたにごちゃ混ぜになって、エンにその矛先が向けられていた。
 じっと目の前の詐欺師野郎の目ン玉の奥の奥を見据える。十秒も経たないうちにエンは目を逸らした。わたしは大股でエンの目の前まで近づくと胸ぐらを引っつかみ、
「吐けっつってんだよ、このペテン野郎! 人を弄びやがって、飼い殺しにしやがって! 何様のつもりだよてめーは! 旧時代の人間のくせに新時代の人間と同じ生活しやがって! てめー一人だけ抜き出ようったってそうはいかねーぞ!」
 わたしは思い切りエンの頬に拳を振り抜いたつもりだったが、目の前の一人の男には大したダメージも与えられなかったようだ。わたしが言うだけ言うと、エンはどこか後ろめたそうな、罪悪感を抱いているような、そんな微妙な表情をした。
「わかった、話すよ……。隠してて悪かった」
 わたしは今まで頭に上っていた血がすっと下がり、エンの発する言葉に耳が吸い寄せられていった。
 
 
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