水溜りのホップロック


   09

 ぱしゃん!
 何かが水面を跳ねる音。
 ぱしゃん!
 日差しを受けて、きらめく飛沫。
 ぱしゃん、ぱしゃん、ぱしゃん……。
 わたしは川原にいた。夏の川原、夏の日差し、夏の青空と雲。大きな川の、川原にいた。遠くに青い山々が見える。
 隣で誰かが水切りをしている。背の高い男の人だ。少し離れたところに女の人もいて、野菜や肉を切っている。バーベキューの準備だ。
 わたしも負けじと水切りをする。なるべく平らな石を選んで、水面ぎりぎりを水平に飛ぶよう狙って投げる。でも隣の男の人は五回以上も石が跳ねているのに、わたしは二回がせいぜいだった。
 女の人の呼ぶ声に合図して、男の人とわたしは水切りをやめて、女の人の方へと向かった。
 ばっしゃーん!
 随分と大きな水の音だ。誰かが川に落ちたみたいな音。誰だろう。それに、今の川原はどこだろう。ここはどこ? 今は、いつ?
 ばきん!
 世界の終わる音がした。
 わたしたちのつながりが切れる音。
 ばきん!
 わたしの夢が、覚める音だ。
 本当は心のどこかでわかっていたのかもしれない。かわいそうな被害者を演じて、世界から取り残された悲劇のヒロインを演じて、現実から目を背けているだけだった。水に沈んだ街なんて嘘。本当は何も起きていない。わたしが麻薬の幻覚で、夢を見ているだけだったんだ。
 さっきの川原の夢はわたしの子供の頃の記憶だ。お父さんと、お母さんがいて、わたしはごくありふれた、それでいて幸せな生活を送っているはずだった。どこで狂ってしまったのだろう。どこで歯車が噛み合わなくなってしまったのだろう。わたしがクスリをやった理由は何? わたしにクスリを与えたのは誰? 記憶がはっきりしない。高校に入学してからの記憶が、よく……。
 わたしはビルの屋上に寝転がっていた。青い空と白い雲が見える。それだけだ。わたしは人を殺した。わたしをペットとして飼い殺しにした、それでもわたしを愛してくれた人を。
 わたしは、エンを、殺してしまったんだ……。
 どこか意識がはっきりしない。ぼーっとして、感情が麻痺しているみたい。青い空と、白い雲。階段を駆け上る足音と、響く怒声。ああ、世界はこんなにも、ゆっくり動いていたんだ。
 担架で運ばれながら、わたしはなぜか笑い出したいような気持ちに駆られた。水没都市が嘘だったように、わたしの薬物中毒も、エンの死も、こうして警察と救急隊員に連行されるわたしの状況も、全部嘘だと思いたかった。悪い夢を見ていただけだと言ってほしかった。
 わたしはそのまま目を閉じて、眠りに落ちた。エンと二人で、水に沈んだ街を泳ぐ夢を見た。エンの手の温もりを感じ、体の確かさを感じ、水がわたしたち二人をすべて飲み込み、やがて、わたしたちはひとつになった。そんな夢を見た。
 目を開けたら病院にいた。恐らく警察病院だろう。わたしの麻薬中毒と、人殺しの罪は消えなかった。
 当たり前だとわかっているけれど、どこか虚しく、どこか悲しく、どこかやるせない、ごちゃ混ぜになった感情が心を支配した。
 わたしは、わたしは、これからどうすればいいのだろう……。
 よくわからないまま涙が零れて、よくわからないまま、泣いた。
 朝が来た。望まなくても、わたしは生きている。警察と医師が交互に来て説明をしていった。わたしは麻薬中毒患者であり、殺人者だ。取調べは昨日やった。わたしは素直に罪を認めた。医療少年院というところに何年か入って、その後は麻薬中毒患者が社会復帰を目指す施設で過ごすことになるらしい。刑が終わればわたしは自由だが、大検を取って大学に進み、アルバイトをしながら一人暮らしをするのがいいと言われた。他人に人生を決められるなんて嫌だったが、親の庇護も期待できないからそうする外ない。
 一生、罪と禁断症状に耐えながら、わたしはまともな人間に戻れるのだろうか。耐えて、耐えて、耐え抜いたその先に、何が待っているというのだろう。わからなかったけれど、そうする外ない。耐え抜いたその先で、何かしら見つけなければならないのだ。社会不適合者を受け入れてくれる場所なんて、この世界にはどこにもないのだから。
 とりあえず、今は眠ろう。ただひたすら、眠ろう。何度も何度もまぶたの裏でリピート再生される、エンを突き落とすフラッシュバックに耐えながら、今は眠ろう。
 おやすみ――。
 
 
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