楓のウィール


     1


 かえでおばあちゃんのことを思い出すときは、いつだってあの夕暮れのなか、自転車の練習をしている場面が真っ先に浮かぶ。早く大人になりたくて、早く補助輪なしで自転車を漕ぎたくて、わたしは楓おばあちゃんに練習をつきあってもらっていたのだ。
 何度も失敗して腕や脚がすり傷だらけになって、楓おばあちゃんに買ってもらった自転車にもたくさん傷をつけてしまったけど、楓おばあちゃんは一度も叱らなかった。その代わり安易に手を差しのべることもしなかった。自転車を漕ぎ始めてスピードに乗るまで、倒れないように押さえていてくれるだけだった。急かすこともなくただじっと、わたしが成功するまで見守ってくれていた。でも練習のあとでお母さんから、傷をつくってしまったことを怒られた。
 楓おばあちゃんは高校の教員だった。定年退職を迎えるその年、一年間だけ自転車部の顧問を務めた。わたしの練習につきあってくれたのは定年を迎える七年も前のことだけど、そのときの練習が楓おばあちゃんを自転車部の顧問の先生にさせたのかもしれない。
 そんな楓おばあちゃんはもういない。今年の夏、肺炎で他界した。定年退職してからわずか二年後のこと、六十七歳だった。わたしは大のおばあちゃんっ子で、高校も楓おばあちゃんが教鞭を執っていた学校、私立葉染はぞめ学院高校に進学した。受験の合格通知をもらうと真っ先に楓おばあちゃんに知らせた。楓おばあちゃんは微笑んでわたしの頭をなでると、「紅葉もみじ、よくがんばったねえ」と褒めてくれた。
 わたしの合格通知と引き換えに、楓おばあちゃんは病床に臥した。一学期の間は何度も病院にお見舞いに行ったが、楓おばあちゃんは自分のせいで、わたしがちゃんと学校生活を楽しめていないのではないかと心配し、「紅葉は頻繁にここへやって来るけど、そんなに毎日のようにお見舞いには来なくていいんだよ」とわたしに言った。それ以来、お見舞いは週に二回に留めておいた。それでも楓おばあちゃんの病状がどうしても気になってしまい、部活にはひとつも入らず、勉強にもまったく手がつかず、中間テストはそこそこだったものの、期末テストではその惨憺たるや目に余る結果となった。
 わたしは楓おばあちゃんが心配した通り、まったく学校生活を楽しめないまま最初の一学期を終えた。こんな状況では楓おばあちゃんに怒られ、悲しませてしまうだろうと萎縮してしまい、夏休みが始まって数日間が経っても、足は病院へと向かなかった。そうこうしているうちに楓おばあちゃんの病状は悪化し、わたしはなりふり構っていられなくなった。
 病院のベッドで楓おばあちゃんは、呼吸器をつけ、点滴を入れ、顔はげっそりとやつれていた。息をするのもつらそうだった。わたしは目に涙を滲ませながら、楓おばあちゃんに説明と謝罪をした。実は、楓おばあちゃんのことがなによりも心配で、学校生活を全然楽しめていなかったのだと。楓おばあちゃんの声はもう聞くことはできなかったが、容赦の微笑みを見せてくれた。
 すぐにお盆が来た。楓おばあちゃんがそばで見守ってくれていても、一向に沈んだ気持ちは晴れなかった。
 楓おばあちゃんの喪失感を引きずったまま、夏休みは終わり、新学期が始まった。一学期中も楓おばあちゃんへの心配でいつも不安そうな顔をしていたわたしが、夏休みを挟んで、絶望感に打ちひしがれたこの世の終わりみたいな顔をしているのを見かねてか、クラス内で唯一友達になった並木銀杏なみき いちょうさんに部活に誘われた。友達といってもそれほど親しかったわけではなく、このときもまだ「並木さん」と他人行儀に話しているぐらいだった。今では「いっちょん」と気軽にあだ名で呼んでいる彼女が誘ってくれたのは、奇しくも自転車部だった。二年前、楓おばあちゃんが教員生活最後の一年間に顧問を務めた部活だ。今三年生の先輩が一年生だったとき、楓おばあちゃんは自転車部の顧問だった。わたしの胸は大きく揺れた。もしかしたら、楓おばあちゃんを知っている人がいるかもしれないと。わたしはこれを運命のように感じた。気持ちは暗いままだったが、わたしは並木銀杏さんこと「いっちょん」に連れられて自転車部の門扉を開いた。 
 わたしは楓おばあちゃんのことを気にしすぎて、楓おばあちゃんの期待をこともなげに裏切ってしまった。でも、後悔してくよくよしていたって仕方がない。今からでも楓おばあちゃんの期待に沿って、部活動を始め、勉強もがんばって、学校生活を楽しもう。わたしはそう胸に誓った。
 
 
「――おっ、いっちょん、こんちゃす! お邪魔してるよーっ! おやっ、そのうしろの子は誰、誰? もしかしてもしかして……、新入部員かーい? いっちょん、ナイスナイスッ!」
 あのとき、部室のなかから元気よく飛び出した声に圧倒されてしまったのをわたしはよく覚えている。前部長を務めた来間瑞樹くるま みずき先輩が、ちょうどわたしがいっちょんに連れられて部室へ行ったときに遊びに来ていたのだ。
「瑞樹先輩、初対面の子にそうやって突っかかると……、ほら、彼女困っちゃってますよ」
 部室には現部長である木野戸瑠穂きのと るほ先輩もいた。確かにわたしはそのとき瑞樹先輩の剣幕に圧倒されたのも事実で、テンションの高い人だなとは思ったものの、内心面食らってもいた。
「ごめんよ瑠穂ー。ついテンション上がっちゃって」
「あの先輩、今日はとりあえず体験だけでもいいですか」
 いっちょんが先輩二人にそう説明した。
「いいよいいよー! 体験だけでもなんでも大歓迎! えっと、そうだそうだ、名前教えてもらってもいいかな」
「あ、伊呂波いろは紅葉です」
「そうか、紅葉ちゃん……モミジ……、あ、モミちゃんって呼んでもいいかい?」
「あ、えっと……、はい」
 即席であだ名をつけられてわたしは少し尻込みしてしまったが、了承することにした。
「そう、よかった。あたしは来間瑞樹っていうんだ。ここ自転車部の前部長やってたんだよー。七月の文化祭が終わったあとに引退したんだけどね、まあこうしてときどき遊びに来るのでひとつよろしくっ!」
「瑞樹先輩は受験生なのに、よく遊んでいられる時間がありますねぇ」
 瑠穂先輩がやんわりと突っ込みを入れる。
「まーだまだ、九月になったばっかりじゃん。もうちょっとぐらい余裕あるってー」
 瑞樹先輩はそう言いながら笑っていたが、わたしにはどうにも苦笑いのようにしか見えなかった。
「それにしても、モミちゃんの苗字って伊呂波っていうんだねー。昔うちの学校にも伊呂波先生っていう先生がいて、自転車部の顧問だったんだー」
「それ、きっとわたしのおばあちゃん……じゃなくて、祖母です。ここ葉染学院の教員でした」
 わたしはそのときとても嬉しかったのを憶えている。楓おばあちゃんのことを知ってる人がやっぱりいた。嬉しくないわけがない。
「へえぇ、それはすっごい偶然だね。あーいや、偶然と言うか必然かー。先生もすっごく自転車が好きだったんだよね。あたしが一年のときの一年間だけだったんだけど、定年退職直前で、すごくやさしいんだけど熱意のある先生でさー。それで、先生はお元気?」
「それが……」
 わたしは再びひどく悲しい気分に襲われ、ちらりといっちょんのほうを見た。いっちょんはそんなわたしの気持ちを察してくれて、代弁してくれた。
「……えっと、今年の夏、他界したそうです」
「あ……そうだったんだ。ごめんね」
「いえ、いいんです。……それより、なにかありませんか? 写真とか……」
「おー、あるある。なんだー、そういうことならもうちっと早く来てくれればよかったのに。えーっと、どこだったかなー」
 確かにその通りだ。夏休みが終わったあとすぐにでも来ていれば……。いや、それよりももっと早く、それこそ入学したあとすぐに入部していれば、楓おばあちゃんに自転車部に入ったと知らせることだってできたし、瑞樹先輩を葬式に呼ぶことだってできた。わたしと同じように、瑞樹先輩も楓おばあちゃんを亡くして悲しいはずだった。
 瑞樹先輩は部室の棚を一通り探したあと、分厚いアルバムを持ってきてテーブルにどすんと載せた。
「このアルバム重いねー。年度毎に分けたほうがいいんじゃないの」
「そうですねぇ、今度整理しておきます」
「なんか部ができた当初からありそう。せめてラベルをつけるかなにかするか。ええっと、二年前だからどの辺かな……」
 瑞樹先輩は大体真ん中ら辺からすこし後ろのページに当たりをつけて開いた。するとどうやらそこは瑞樹先輩が入学する前、つまり今から三年前の自転車部の写真が並んでいた。もちろん、楓おばあちゃんも写っている。
「おお、伊呂波先生いるいる! ほらほらモミちゃん、好きに見なさいな」
「あ、ありがとうございます」
 瑞樹先輩に言われるまま、わたしはアルバムのなかの写真を眺めていった。すべての写真というわけではないが、楓おばあちゃんの写っている写真は結構あった。楓おばあちゃんが写っていない写真は単に部室内の写真とか、合宿で気ままに撮ったもののようだ。あるいは、楓おばあちゃん自身がカメラを持ったのかもしれない。
 写真のなかで楓おばあちゃんは静かに微笑んでいた。ほかの部員たちもとても楽しそうにしている。
 幾度かページをめくると、瑞樹先輩の写っている写真があった。
「おー、こっから二年前のものだね。あっはっは、あたし入学して早々髪染めたんだよねー。今は黒だけどさっ。懐かしー」
 楓おばあちゃんは、こうして写真に、記録として、記憶として残っている。これからも、ずっと。瑞樹先輩の心のなかにも、わたしの心のなかにも、ずっとずっと。不意に熱いものが込み上げてくる。胃の辺りがきゅうっと切なくなった。
「うっ……楓おばあちゃん……」
 気がつくとわたしは泣いていた。隣に座っていたいっちょんが腕を回してくれる。
「あれっ、瑠穂、あんたまで」
「……ごめんなさい、もらい泣きしちゃったみたい」
 瑠穂先輩が目を拭っている。
「うう……なんかあたしも……。紅葉ちゃん、このアルバム、絶対捨てないからね。というか、あたしが卒業したあとも捨てないでよ。いいね瑠穂」
「もちろんです」
 わたしの涙はしばらく止まらなかった。部活の見学に来たというのに、アルバムを見るだけで終わってしまった。でも、楓おばあちゃんの写真を見ることができてとてもよかったし、見学はなにも急がなくたっていい。
 だってもう、わたしは自転車部に入ることはそのときすでに決まっていたのだから。
 
 
 季節は十月も下旬に差しかかり、いよいよ本格的な秋の到来を肌で感じられる頃になった。風はひやりと肌に冷たく、スカートの下にタイツを穿く子も日増しに増えてきている。かくいうわたしもタイツを穿き、おまけにセーターも着てマフラーも巻いている。すっかり冬の装いだが、自転車通学の身に秋風はつらい。あと一月強もすれば厚手のコートの出番である。わたしは徐々に迫りくる冬の気配に無意識に身を震わせた。
 学校への通学路ではちらほら部活道具、つまりテニスやバドミントン、ラクロスのラケットや、竹刀、弓などといったスポーツ、武道の道具が目立つ。なにを隠そう先日中間テストが終わったばかりで、わたしの所属する自転車部も今日から活動再開なのだ。テスト期間中もこの自転車で通学していたとはいえ、部活となると俄然ペダルを漕ぐ足に力が入った。
 自転車部とはいっても、競技専門の部活ではない。正確に言うなら「今は」であるが。現に今わたしの乗る自転車はARUNの折りたたみ自転車、KF‐20ACのレッドだ。赤い二十インチの小径タイヤが特徴的な自転車で、「自転車部」というからにはふさわしくないかもしれない。でも今年の部長から部活の方針が変わったのだ。どの部活も七月の文化祭後に代替わりするのだが、今年の部長は競技メインではなくカジュアル志向、つまり実体的に自転車「愛好」部にすると銘打ったらしい。もちろん部活名は今まで通り「自転車部」なのだが、これには部員全員が驚いたという。反発もあったし、それでも競技をメインで活動しようとしてる人もいる。わたしといっちょんは部長の側についたのだが、他の人は離反してしまった。つまり、今自転車部は真っ二つに割れてしまっているのだ。
 でも、そんな状況であってもわたしは部活が楽しかった。わたしは入部してからこの話を聞いたから以前の雰囲気はまったく知らない。だけど、自転車「愛好」部のほうがわたしには合っていた。ロードバイクでの競技などわたしには到底無理だと思ったからだ。実際いっちょんから誘われたときも始めは断ろうとした。だけど、今の自転車部が競技専門ではないと知り、またわたしも自転車に乗ることが楽しかったのだろう、そして瑞樹先輩が見せてくれたアルバムのこともあり、わたしは楓おばあちゃんの思い出を引き連れて思い切って自転車部に入部したのだった。
「――おはよ」
「あっ、いっちょん! おはよーっ」
 わたしは部室棟の裏にある自転車部専用の自転車置き場でいっちょんに出くわした。ルイガノの白いミニベロ、LGS‐MV1の二〇〇九年モデルから降りたいっちょんは眠そうな顔で目をこすっている。言葉少なな挨拶は普段もそのままで、大抵いつも寡黙である。だけどいっちょんは時々、楓おばあちゃんを亡くした直後のわたしみたいな、いわゆる「放っておけない」ような人を見ると途端に熱くなる性格なようで、心配性でありながら実は人一倍他人のことを気にかけている。
 そんないっちょんのやさしさに触れて、クラス内で浮いていた彼女とわたしは友達になった。かくいうわたしも浮いた存在だったから、立場上は似たもの同士で、楓おばあちゃんの死があってもなくても、わたしたちは自然と友達になっていたのかもしれない。
 あっという間に授業が終わって放課後、わたしたちは二人で部室の扉を開けた。
「こんにちはーっ」
「あら、二人とも早いねぇ。こんにちは」
「あ、瑠穂先輩、こんにちは。部長のほうが早いじゃないですか」
「少し授業が早く終わったのよ。それじゃあ早速、紅葉狩りのミーティング、始めましょっか」
「はーい!」
 わたしたち自転車部は次の日曜日に紅葉狩りに行くことになっていた。とはいっても遊びや旅行ではなく、立派な活動である。 輪行といって、自転車を分解して輪行袋に入れ、電車で移動して出かけた先で自転車を楽しむというものである。
「――まずは場所について。秩父の中津峡なかつきょうへ行きます。秩父鉄道で三峰口みつみねぐち駅まで輪行して、そこから自転車ね。行く人は私と伊呂波さんと並木さんの三人だから、部室にある輪行袋で数は足りるわね」
 輪行は普通そのまま自転車を電車内に持ち込むことはしない。輪行袋という専用の袋に自転車を入れるのである。しかし、問題はそこではなかった。
「先輩、他の人は来ないんですか?」
 自転車部はこの三人だけではなく、他にも何人か部員がいるはずだった。いっちょんからそう聞いていたのだ。しかしわたしも毎日部活へ来ているわけではないので、たまたまかち合わないだけなのかもしれない。だがそれにしたってもう入部してひと月以上も経つというのに、顔を合わせるどころか紹介すらされないのも変に感じていた。
「そうねぇ……一応誘ってはみたんだけど、やっぱり来ないって」
「他の人は、幽霊部員だから」
 いっちょんがさり気なく説明を挟んでくれる。
「そうそう、そうなのよね。他にあと三人いるんだけど、いろいろあって、ね……」
 それはやはり部活の方針変更が原因と見ていいのだろう。本気で自転車の「競技」に取り組んでいた人は、いわばぬるくなってしまったこの部活へ来るよりも個人で練習したほうがいいのかもしれない。
「なんか、少人数だから部の活動っているより、友達同士でちょっとした日帰り旅行に行くみたいだね」
 わたしは楽しくなってきてしまい、ついそう漏らしてしまった。
「うふふ、そうね。でも、ちゃんと活動だってことを忘れないでね。写真を撮ったり、走ったコースもちゃんと記録しておかなくちゃ」
「あ、そうですね。写真は大事ですね。って、わたし、カメラ持ってないです!」
「大丈夫よ、私が持っていくから。三脚もあるから、セルフタイマーで撮れるでしょ」
「あー、それならよかったです」
「――あの」
「はい、並木さん。なんでしょう」
「顧問の先生はいらっしゃらないんですか」
 そういえば、わたしは一度も部活の顧問の先生を見かけていなかった。しかし入部して日の浅いわたしならともかく、四月から入部しているいっちょんが知らなそうな口ぶりなのには単純に驚いた。
「一応いるにはいるんだけど、無関心な先生でね。私が入学した年に伊呂波先生の代わりに顧問になられたそうなんだけど……」
「そうなんですか……」
 そんなんでいいのだろうか。確かに部活の顧問というのは面倒臭いとよく聞くけど……、単純にわたしが楓おばあちゃんばかりを見て育ったからだろうか。あんなに熱意のあった楓おばあちゃんの後釜がこれでは、報われないと思った。
「大丈夫よ、今度私からよく言っておくから。さすがに今度の輪行までには無理かもしれないけど、今年度中にはなんとかしたいわね。なんなら、顧問の先生を変えるというのも手だし」
「あ……はい。ええと、すみません、なんか。もしかして顔に出てましたか?」
「うん、眉根を寄せちゃって、怖い顔してたよ」
「あう……すみません。わたしの悪い癖で」
 感情がすぐに顔に出てしまうのは確かに気にしている部分でもあったが、楓おばあちゃんはそんなわたしを見て素直で情緒豊かな子だと言ってくれたものだ。あまり気にしないようにしているものの、やはり瑠穂先輩をはじめ他人に気を遣わせてしまう。
 不意にぽんといっちょんの手がわたしの肩に置かれた。これは慰められているのか、それとも呆れられているのか……。無表情のいっちょんの顔からはうまく読み取れない。
「まあ、あまり気にしないほうがいいんじゃないかしら」
「……はい」
 なんとなく、気恥ずかしくなってしまう。
「それじゃあ、当日は朝の八時に駅に集合ね。お弁当とか雨具とか、詳しい持ち物とか電車賃とかはあとでメールで回します。ほかになにか質問はある?」
 わたしは首を振った。いっちょんは無言である。
「じゃ、今日の活動を始めましょっか。ミーティング終わりー」
「はーい」
「まずは自転車を分解する練習でもしてみましょうか」
「はい」
「え、あの、わたし折りたたみ……」
「伊呂波さんには私の自転車を貸してあげるから心配しないで」
「えー、はい……」
 わたしは半ば強制的にクロスバイクの前輪を分解して外すという作業を行うことになった。隣のいっちょんはなんの苦もなく、黙々とミニベロの前輪を取り外していた。さすが慣れた手つきである。わたしも瑠穂先輩の赤いクロスバイク、GIANTのESCAPE・RX3の前輪を瑠穂先輩から教わりながら外してみる。自転車を分解するというのはとても恐ろしい行為なのだが、いずれ自分もクロスやロードを持ったときに輪行をすることもあるのだろうかとなんとなしに思う。チェーンが外れたり、それこそタイヤがパンクしたりするだけでなにもできなくなるわたしが。
 そのあとは学校の周辺を軽く走って今日の部活は終わった。だらだら雑談しながらやっているからか、やっぱり部活は楽しかった。でも単純に自転車で勝手気ままに遊んでいるだけのような気がして、競技好きのまだ見ぬ部員たちに対して少しだけ良心の呵責を感じた。
 
 

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